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イノッチファームでシェアリングネイチャー No.63〈雨の畑で考えたこと〉(2020.06.19)
イノッチファームでシェアリングネイチャー NO63
〈雨の畑で考えたこと〉
雨で畑仕事ができないので、今日は小屋で読書。
家でもいいが、"雨音"聞きながら本を読みたかった。
昨今の家は気密性が高いので多少の雨では音が聞こえない。
昔のように、トタン屋根を打つ心地よい雨音を聞きにわざわざ雨の畑に行った。
今、「はじめての大拙」(大熊玄)という本を読んでいる。
一度読んだが気になって何度もジックリと読み返している箇所がある。
『言語は記号にすぎず、もの自体ではあり得ない。ところが、お互いの意思の伝達のためにわれわれが作り出したこの言語はあまりに便利なので、われわれはともすると、それを実在と取り違えかねない』
『われわれはあまりに言葉と論理の奴隷である』
『言葉が事実と附合しなくなった時、それは言葉を捨てて事実に帰る時である』
「ヘクソカズラ」「ハキダメギク」「ショウベンノキ」「ドクダミ」・・・。
言葉が先にあるとそのマイナスイメージが先行して事実を見るはずの"目"がとたんに言葉の下部となってしまう。
目の前の"事実"を見ずに、"言葉"で知った気になってしまうと本当に大事なことを見失ってしまう。
今まで生きてきた68年間、そんな失態は数知れずあったに違いない。
1歳の孫は、積み木も牛乳パックもスマホも時計も乾電池も石や砂さえもなんでも口に入れる。
そうやって初めて出会う身の回りの"事実"を全身で感じ確かめていた。なんの先入観もないから事実を事実として受け入れることができる。
かのレイチェル・カーソンは、センス・オブ・ワンダーの中で「知ることは感じることの半分も重要ではない」と言っていた。
まだこれからでも遅くはない、1歳の孫に倣って、目の前の"事実"を先入観なしで確かめてみようと思う。
「鳥と野鳥図鑑とが一致しない時はいつも鳥の方を信じること」(バードウオッチャーの諺)
▶PDF版をダウンロードする イノッチファームでシェアリングネイチャー№63.pdf
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