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自然を楽しむ・自然から学ぶの記事一覧

イノッチのシェアリングネイチャー No.152-53〈ぶんぶんぶん、ハチが飛ぶ〉(2021.2.11)

イノッチファームでシェアリングネイチャー NO152-53

〈ぶんぶんぶん、ハチが飛ぶ

今、中国野菜の紅菜苔が満開の時期を迎えている。花を愛でるために育てたわけではな いのだが、菜の花の一つとして早春の畑に彩を添えている。

今日は 3 月並みの陽気で、この暖かさに誘われてかたくさんのミツバチが飛び回っていた。その数約 20~30 匹ほど。そばに行ってみると、"ヴォーヴォー"と羽音が聞こえてくる。トンネルの中で聞く車の音 のようだ。花から花へとせわしなく動き、頭を突っ込んで盛んに蜜を集めている。

動きが早くてなかなか写真も撮りにくいのだが、撮った写真をよく見ると、後足に花粉団子がついているのが見える。蜜を吸っている間に足には花粉をつけるという同時作業。 この団子は巣に持ち帰って貴重な栄養源として使われる。これからどんどん暖かくなりいろいろな花が咲き出す。ミツバチにとっては忙しい一年の始まりだ。

だが、子育てのためにせっせと集めたハチミツの多くは人間に横取りされてしまう。こんな小さな体でスプー ン一杯のハチミツを集めるのはどれほど大変か、心して食べないと罰が当たる。

▶PDF版をダウンロードする 2021.2.11 NO152-53 ぶんぶんぶん、ハチが飛ぶ.pdf

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イノッチのシェアリングネイチャー No.152-52〈ヤモリのミイラ〉(2021.2.9)

イノッチファームでシェアリングネイチャー NO152-52

〈ヤモリのミイラ

畑の小屋に入ったら足元にヤモリが・・・。いつもならすぐに逃げるのだが動こうとし ない。近寄ってみるとどうやら死んでいるらしい。一昨日小屋に入った時にはいなかった ので、昨日か今日の出来事だ。このヤモリ、小屋のロッカーにいて、時々顔を合わせてい る住人の一人。"家守"なので丁重に扱っていた。外傷はないので死因はナゾ。ただ、湿 気を好む、適温は 18 度~26 度、生きた虫を食べるなどの生態を考えると、死因はどれも 当てはまる。乾燥続き、小屋に水気はない、氷点下の寒い日が続く、虫もいない、、、。 野生の生き物にとって冬越しはそれこそ命がけなのだろう。

改めて、外に出してよく見てみるとからからに干からび、お腹はぺちゃんこ。まるで干 物状態だ。ヤモリは 11 月~3 月くらいまで冬眠するということだが、ロッカーから出てき ているのはどういうこと?と謎が深まる。日中、日が出ていると小屋の中は結構暖かくな る。"春が来たかな?"とうっかり勘違いしてウロウロ歩き出すと、夜は冷え込む。そん な寒暖差についていけずついに力尽きたか???。死因は特定できずとも、このお腹の薄 さを見ると何やら哀れを誘う。万歳した 5 本の指は万事休すの白旗だったのだろうか?

▶PDF版をダウンロードする 2021.2.9 NO152-52 ヤモリのミイラ.pdf

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イノッチファームでシェアリングネイチャー No.152-51〈木のおしゃべり〉(2021.2.8)

イノッチファームでシェアリングネイチャー NO152-51

〈木のおしゃべり

都立小金井公園は広大な敷地に太い木や珍しい木がたくさんある。たま~に来る爺さんがしげ しげと木を見ていたら、心許してくれたのか小さい声でしゃべってくれた。以下、本人の了承を 得て掲載することにした。

短い時間だったのであまりおしゃべりに付き合ってはいられなかったが、広ーい公園、まだまだ おしゃべりしたい木はいっぱいあるはず。今度は季節を変えてまた遊びに行ってみようと思う。 木だって耳を澄ますとちゃんと話している。《聴いてみたいな》と思ったら話してくれる。

▶PDF版をダウンロードする 2021.2.8 NO152-51 木のおしゃべり.pdf

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イノッチファームでシェアリングネイチャー No.152-50〈ゆったりした時間〉(2021.2.6)

イノッチファームでシェアリングネイチャー NO152-50

〈ゆったりした時間

午前中はオンラインでの会議で全国のシェアリングネイチャーの仲間と顔を合わせる。北海道から沖縄まで 91 人の参加者が画面上にいる不思議な光景。まだしばらくはこんな形での会議が続きそうだ。

午後は、「ホンモノ」が恋しくて畑に行く。暖かな南風、鳥の声、冷たい雨水、煙の臭い、、、リアルな刺激に五感が目を覚ます。まずは小屋から太陽光パネルを出してお湯を沸かす。エネルギーは太陽光なので CO2の発生はゼロ。この時期なら 20~30 分でお湯が沸く。その間に火をおこしてサツマイモを焼く。剪定した枝なので、CO2 はプラマイゼロ。小さい芋を炭火の中に直に置くので、焼けるのも早い。

太陽光で沸かしたお湯でコーヒーを淹れ、焼きたての芋を頬張る。コーヒーの苦みと芋の甘味が口の中で混ざり合い「あ~うまいな~」と思わずポロリ。お口直しはスティックセニョール、柔らかな茎や花をムシャムシャ食べる。牛のように。

お腹が満足したところでお日様に 向かって目をつぶり《呼吸数えのメディテーション》。

4 つ数えながら息を吸い4つ息を止める、4 つ吐いて4つ息を止める。これを数回繰り返す。目をつぶって瞼に集中すると、瞼の裏が真っ赤に見える。無意識にしている呼吸を意識的に行うことで、空気の流れを感じることができる。わずか 5,6 分の短い時間だが、こんな呼吸一 つで気持ちが落ち着き、ゆったりしてくるのが分かる。 畑は自然との調和を得られる貴重な場所だ。

▶PDF版をダウンロードする 2021.2.6 NO152-50 ゆったりした時間.pdf

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イノッチファームでシェアリングネイチャー No.152-48〈やあ、こんにちは!〉(2021.2.4)

イノッチファームでシェアリングネイチャー NO152-48

〈やあ、こんにちは!

野山の木々が葉っぱ落としたこの時期、冬芽に守られるようにかわいい顔が寒風にさらされている。葉が落ちた跡で葉痕と呼ばれる。顔に見えるつぶつぶは水分や養分が通った道の跡、言わば血管の跡だ。このほんわかした顔を森や公園の中で見つけると、お地蔵さんに会ったようで、思わず「こんにちは、今日もいい天気ですね」などと声をかけたくなってしまう。木の種類が違えば当然顔も違うが、同じ木でも個性があって一つとして同じものはない。人の顔だって違うのだから当たり前なのだが。ウサギに見えたり、ヒツジに見えたり、おサルに見えたり。泣いた顔、笑った顔、困った顔、・・・・。見え方も千差万別、なんでもありだ。

顔だけでなく、自然の造形物を何かの形に見立てるのは人の意識、「あっ、こんな ところにヒツジの顔があった!」と思った瞬間、それはヒツジとしてそこに存在する。気づかなければ、ただの木。同じように足元のアリやダンゴムシも「そこにいる」ことに気づかなければ、存在しないも同じこと。そうやって今までにもそのものの存在に気づかずやり過ごしてきた命の数々。幸せの物差しは人それぞれに違うが、散歩道で偶然見つけた顔に見えるものや、葉っぱの裏に隠れていた小さな虫などを見つけた時、幸せ度数は跳ね上がる。同じ命あるもの同士としてシンパシーを感じるのかもしれない。

▶PDF版をダウンロードする 2021.2.4 NO152-48  やあ、こんにちは.pdf

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イノッチファームでシェアリングネイチャー No.152-47〈春を食す〉(2021.2.3)

イノッチファームでシェアリングネイチャー NO152-47

〈春を食す

君がため 春の野に出でて 若菜摘む 我が衣手に 雪は降りつつ 〈光孝天皇:百人一首より〉

虹菜苔、菜の花、ブロッコリー、スティックセニョール、万葉集に歌われていた若菜とは似ても似つかない野菜たちだが、春になれば外来種だろうがF1種だろうがちゃんと花を咲かせる。

顔を出し始めた若い蕾は柔らかくて美味しい。ほろ苦い菜の花は大人の味、お腹の中がスッキリきれいになりそうだ。今シーズン初めて栽培した中国野菜の紅菜苔(右写真)はクセがなく生でもいける。そのままポキッと折って畑で食べると春の味が口いっぱいに広がる。冬野菜が少なくなるこの時期、董立ちの野菜を食べられるのは何ともありがたい。これから暖かくなるにつれグングン董が立ってくるので野菜不足の心配はしなくて済みそうだ。

ブロッコリーとスティックセニョールは茹でてポテトサラダに添えて食べる。紅菜苔と菜の花は明日の味噌汁になりそうだ。日の光、雨、土、気温、自然の恵みがあってこその春の味、『いただきます』の感謝の気持ちは自然と口から出てくる。今まさに伸びようとしている野菜のエネルギーは大地の力そのものだ。

▶PDF版をダウンロードする 2021.2.3 NO152-47  春を食す.pdf

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イノッチファームでシェアリングネイチャー No.152-46〈ごちそうゲットだぜ!〉(2021.2.1)

イノッチファームでシェアリングネイチャー NO152-46

〈ごちそうゲットだぜ!

田んぼの脇道を散歩していたら、ジョウビタキ(メス)が杭の上にチョコンと止まっていた。

しばらく様子を見ていると、田んぼの方に行ったり来たりしている。遠くて良く見えないのでカメラを双眼鏡代わりにして見ていると、どうやらエサ探しをしているようだ。

木の枝にとまったところを更にズームアップして見てみると、虫をくわえている映像が目に入った。急いでシャッターを切る。連写だったので、いろんな向きの顔が撮れた。

ジョウビタキやルリビタキは冬鳥でキビタキやオオルリは夏鳥、季節限定の鳥だ。あくまでも個人的見解だが、ヒタキ科の鳥は総じて歌もうまいしカワイイので、ついつい追っかけの対象になる。新緑の頃に聞くキビタキや登山中に聞くオオルリの歌声などは耳だけでなく全身の皮膚から入り込み、体中に染み渡っていく。

彼らは寒い国から、暑い国から逃れて日本に来るわけだが、いつまでも"適地"として選ばれるかは分からない。気候が合わなくなるかもしれないし環境が変わってしまうかもしれない。

ジョウビタキやキビタキが"幻の鳥"にならないよう、今自分にできることに取り組もう。ささいなことでもやらないよりやった方がいい。まずは家でもできる温暖化防止対策!ストーブを弱にする。

▶PDF版をダウンロードする 2021.2.1 NO152-46  ごちそうゲットだぜ!.pdf

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イノッチファームでシェアリングネイチャー No.152-44〈ふきのとう〉(2021.1.30)

イノッチファームでシェアリングネイチャー NO152-44

〈ふきのとう

庭を歩いていたら"ふきのとう"が顔を出していた。いつもかなり大きくなってから気づくのだが、今年は顔を出したばかりの時に気が付いた。

現役の頃、確か2年生を担任した時だと思うのだが、工藤直子さんの「ふきのとう」という詩が国語の教科書にあった。前後の内容は忘れてしまったが、ふきのとうと雪が会話している場面があった。

頭の上に乗っていた雪に『よいしょ、よいしょ おもたいなあ』とふきのとう、それに対して、『すまない』と雪。詩は結構長かった気がするが、ほっこりするこの場面だけはよく覚えている。

二十四節気七十二候の大寒の初候に、《款冬華》(ふきとうはのとうはなさく)がある。蕗なら読めるが款冬は何と読むのか分からない。調べてみたら"カントウ"と読み、蕗の漢語だそうだ。大寒の時期に蕾が顔を出し始めるので、今日見つかったのはちゃんと時期にあっていたのだ。

庭に出ているなら畑にもあるだろうと探してみたら、やっぱり小さい赤ちゃんが顔を出していた。枯葉があって気づかなかったが、よく見たら3つも4つも出ていた。

フキは地下茎でどんどん増えていくので、うっかりしていると隣の畑にまで顔を出していることがある。日本古来の野菜(山菜)だが少々厄介でもある。

フキは何と言っても"フキ味噌"で食べるのが一番だ。何とも言えない春の香りが味噌と絡み合って絶妙のハーモニーを奏でる。白いご飯が白鍵ならフキ味噌は黒鍵、口の中で早春のメロディーが流れだす。(チョット気障かな?)もう少ししたら作ってみよう!

▶PDF版をダウンロードする 2021.1.30 NO152-44 フキノトウ.pdf

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イノッチファームでシェアリングネイチャー No.152-43〈幼児にとっての自然体験〉(2021.1.29)

イノッチファームでシェアリングネイチャー NO152-43

〈幼児にとっての自然体験

1 年ほど前から横浜にある幼稚園からの依頼で、月2度ほど園児たちと山遊びをしている。

山は平らな部分が少なく、ほとんどが斜面でしかもかなりの急斜面だ。山に着くとまずやることは、山を登ったり下りたりの探検ごっこ。

大人にとっては大したことない斜面も、4~5歳児にとってはかなりの冒険になる。特に急斜面を下りる時は怖いので様々な葛藤が生じる。

「立ったまま下りようか、いや、転んだら怖いからお尻ついて下りようか、でもかっこ悪いからやっぱり立ったままで挑戦してみようかな・・・」。

短い逡巡の後、それぞれの決断で下り始める。どんな方法にせよ、無事下りられた時の顔はどれも達成感で笑顔満面だ。もちろん中には恐怖心が勝り先生の手助けが必要な子もいるが、それでも何度か上り下りを繰り返していると、「ここなら自分でできる」と、確信が持てるようになる。

高い所から飛び降りたり、木に登ったり、崖を滑り下りたり・・・、そうやって次々に自分の力を試すうちに、今までできなかったことができるようになった自分に自信がつき、自己肯定感が生まれてくる。

これは小さな子どもにとって大きな財産になるに違いない。斜面を下りる時には笹や木の根をつかめば安全に下りられることや、枯枝や草をつかんだらダメなこと、いざとなったらお尻をつけば大丈夫なこと・・・・。遊びながらいろいろなことに気づきそのたびに体験したことが知識を伴った経験となって蓄積されていく。

山遊びを繰り返す中で、花や虫や鳥、木の実、キノコなど次々に見つけられるようになった園児たち。そのまぶしいほどの笑顔に包まれ、自分もいつの間にか5歳児になっている。

▶PDF版をダウンロードする 2021.1.29 NO152-43 幼児にとっての自然体験.pdf

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