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スタッフブログ
イノッチファームでシェアリングネイチャー No.152-42〈木の根〉(2021.1.27)
イノッチファームでシェアリングネイチャー NO152-42
〈木の根〉
コンクリートで固められてない崖や斜面では、根っこがむき出しになっている木がある。
普通は地中にあってなかなか見られない根っこだが、こうして斜面に立っている木ではその一部を見ることができる。
地上部にある体を支えるにはそれなりの根がないと倒れてしまう。根の役割は水分や栄養分の吸収だが、地上部の体を支えるという大きな役割もある。太くて大きければ大きいほどそれを支えるための強靭な根が必要となる。縦に横に根を伸ばし、どんな強風にも豪雨にも倒されないように地中深く張り巡らせている。
山歩きをしていると、抱えきれないほどのブナや杉の大木を見ることがあるが、一体どれほどの根が張っているのだろうか?
何十tもの地上部が台風に見舞われたときに受ける力、その力に負けじと踏ん張る根の力、地上部のざわめき以上に地中深くでもミシミシと音を立てて嵐が吹きまくっているのかもしれない。
普段は見えない木の土台ともいうべき根っこ、見えないが故にその存在を忘れがちだが、どっこい見えないものほど大事なものはない。大木の根がどこまで伸びているのか一度掘り起こしてみたい。
『根を養えば樹は自ら育つ』という東井義雄さんの本があった。人も木も根が大事なのだ。
はてさて自分の根は今どんな状態なのか、大木ではなく自分自身の根を掘って地上部を支えられる健全な根っこなのか調べてみなくては・・・・。
▶PDF版をダウンロードする 2021.1.27 NO152-42 木の根.pdf
イノッチファームでシェアリングネイチャー No.152-41〈ダイサギ?〉(2021.1.26)
イノッチファームでシェアリングネイチャー NO152-41
〈ダイサギ?〉
ダイサギかチュウサギか判別できないが雪をかぶった丹沢連峰をバックに悠々と飛ぶ姿は何とも清々しくスカッとする。ファインダーを覗きながらサギを追っていると他の景色は入らないので、一瞬だけ鳥になったような気分。爽快だ!
サギの仲間は日本全国どこにでもいるが、かつてはトキやコウノトリだってこうやって身近にいたはずなのだ。そう思うと、目の前にいるサギが果たして100年後にも当たり前に見られるかどうか心配になる。
鳥の写真を撮るということはその環境をも含めた被写体に目を向けることであって、鳥だけに思いを寄せた"いい写真"が撮れたからと言ってその環境を持続させることに役立てるかどうかは疑問だ。
尾瀬の湿原に三脚の跡が見られたり、迷鳥を撮りたいがために足元の草花を平気で踏みつけてしまったり・・・。
花も鳥も虫も写真の好対象になるが、なぜそこにいるのか常に周りの環境との繋がりを意識しながらこれからも撮影していきたいと思う。
▶PDF版をダウンロードする 2021.1.26 NO152-41 ダイサギ?.pdf
イノッチファームでシェアリングネイチャー No.152-40〈切り干し大根2回目〉(2021.1.25)
イノッチファームでシェアリングネイチャー NO152-40
〈切り干し大根2回目〉
ダイコンもそろそろ旬が過ぎて味が落ちてくる頃なので、2度目の切り干し大根を作る。4本分抜いたが使えるところは正味 3 本分といったところ。切りたては瑞々しくてそのまま食べても美味しい。
2日目、丸一日しか経ってないが、かなり水分がとんでいる。水分で光っていた初日に比べ、少し皺が寄ってきて隙間も出てきた。触ってみると、フニャッとして冷たい。
3日目、晴天続きのせいか、良く乾く。あんなに隙間なく並んでいたダイコンだが、もうスカスカの隙間だらけ。触るとチューインガムくらいの柔らかさでなんとも心もとない感じだ。まだ少し水分も残る。
4,5日目は雨のため小屋に入れたまま。
6日目、触ってみるとカサカサでほぼほぼ乾ききった感じだ。あと一日我慢しようかと思ったが 天気も心配なのでこれで完成とした。
あれだけあったダイコンはたったこれだけに。重さは200g。95%が水分のダイコン、これだけ凝縮されていれば栄養価もギュウギュウ詰めのはず。冷凍庫がまた賑やかになる。
▶PDF版をダウンロードする 2021.1.25 NO152-40 切り干し大根2回目.pdf
イノッチファームでシェアリングネイチャー No.152-38〈ジャム作り〉(2021.1.24)
イノッチファームでシェアリングネイチャー NO152-38
〈ジャム作り〉
久しぶりの恵みの雨。畑には行けないので家でジャム作りをする。
暮れに福島の知り合いから戴いたリンゴが少し皺になり始めてきたのでジャムに加工することにした。中サイズのフジが8個で皮や芯を取った正味は1,2㎏。適当なサイズに切ってグラニュー糖を入れグツグツと煮る。
リンゴの場合、砂糖の割合はいつも 20%にしている。今までいろいろ試した結果この割合がちょうどいい。かれこれ6~7年くらい前だろうか、お手伝いに行った長野の農家さんから大量のリンゴを戴いた。とても食べきれなかったのでジャムを作ることにした。
それが始まりで、ユズ、ブル ーベリー、ルバーブ、イチゴ、梅、キンカン、カキ、といろんなジャムを作るようになっ た。しょっちゅう作っているものだから、冷凍庫を開けたら今日の時点で 46 個あった。
毎朝食べてもとても食べきれる量ではないので、子ども達や孫、友だちなどいろいろな方に食べてもらっている。
リンゴは栽培していなので、花と実が生った時期の姿しか知らない。しかし、受粉作業や、消毒、摘果、袋掛け、除草、マルチングなど美味しいリンゴができるまでにはいろいろな苦労があることは想像できる。
そうやってできたリンゴは、少しぐらいの皺ができたからと言って、ないがしろにはできない。他の命を戴いて生かしてもらっている以上最後まで食べきるのは最低限の礼儀だと思うのだ
▶PDF版をダウンロードする 2021.1.24 NO152-39 ジャム作り.pdf
イノッチファームでシェアリングネイチャー No.152-37〈6万年後は?〉(2021.1.22)
イノッチファームでシェアリングネイチャー NO152-37
〈6万年後は?〉
家から歩いて 5 分ほどの場所に、露頭が見える坂がある。上段と中段を結ぶ大正坂だ。この場所は地層に興味ある人には良く知られているようで、たまにそれらしき人が数人でここにきて何やら調査したり話し合ったりしている。
詳しいことは知らないが、何万年も前ここは川だったところで、証拠の礫が見られ、さらにその上に火山灰が積もって今のような地層になったそうだ。少なくともここに積もっている土は6~7万年前のものということだ。
最近 100年に一度の大雨とか、猛烈台風とかよく聞くが、地球の年齢を1年とすると、100年はたった1秒にも満たない時間だ。6万年は人間の歴史からすると途方もない時間だが、地球の歴史から見たらほんの10分程度の時間に過ぎない。パンゲア大陸からの大陸移動などというとてつもない出来事から比べたら、数万年前の火山灰などそれこそ"チリ"が積もった程度の出来事でしかないのだが、そんな"チリ"の上に人は畑を耕し家を建てひしめき合って暮らしている。
6万年後、この地層の上にはどんな光景が見られるのろうか?富士山が爆発した火山灰で何メートルにもわたって埋め尽くされてしまうのか?砂漠化した大地が不毛の地となってしまうのか?はたまた、氷河期が訪れて万年雪に閉ざされてしまうのか?
その時、"ヒト"はこの地球上に存在しているのか?
昨日上弦の月を見たせいか、感覚が広がりすぎて現実感がない。
6万年前の土を前にして、70年近く生きてき意味を問う。 6万年後に果たしてヒトの痕跡は地層の中に堆積しているのだろうか?
▶PDF版をダウンロードする 2021.1.22 NO152-38 6万年後は?.pdf
イノッチファームでシェアリングネイチャー No.152-37〈上弦の月〉(2021.1.21)
イノッチファームでシェアリングネイチャー NO152-37
〈上弦の月〉
昼過ぎ、畑に行ったら昼の月が出ていた。上弦の月だった。写真を撮ったのは午後 2 時 半ごろでこの頃はまだ弦は斜め下を向いている。青い空に浮かぶ白い月はとても控えめで、静かに静かに息を殺して日が沈むのを待っているかのようだ。暗闇に煌々と光る月も好きだが、こんな風に目立たぬようにひっそりとそこに"いる"昼の月も好きだ。やがて主役が舞台から退くと夜の主役として輝きを増してくる。
今夜は近くに火星のお供を連れての運行だ。写真には撮れなかったが赤く輝く星が肉眼でもはっきりと見えた。6時半に撮った時にはすでに弦は垂直から少し傾きかけていた。ほぼ真上にあったのでカメラを向け続けると首が痛くなる。7時からオンライン会議だったのでしばらく外には出られず!
次に見たのは9時半過ぎ、すでに弦は上を向き始めている。
少し前、2年生の孫が"上弦"などという言葉を発していたので、「この歳で上弦の月を知っているとは!」と驚いたが、どうやら鬼滅の刃に出てくる鬼のグループのことだった。
写真を撮った後風呂に入ったら、なんと西側の窓から月が見えた。水滴がついた窓から見える月は弦も孤もはっきりせず、涙目で見るような月だった。なんだかずっとずっと遠い昔こんなぼやけた月を見たような・・・・。
今、時計の針は 11 時過ぎ、恐らく弦は真横になって沈み始めているかもしれない。寒いのでもう外には出ないけど、お陰で今日一日いろんな時間の月を見ることができた。
♪浴衣の君は・・・・・上限の月だったっけ 久しぶりだね~ 月見るなんて♪ 吉田拓郎
▶PDF版をダウンロードする 2021.1.21 NO152-37 上弦の月.pdf
イノッチファームでシェアリングネイチャー No.152-36〈寒中花開く〉(2021.1.20)
イノッチファームでシェアリングネイチャー NO152-36
〈寒中花開く〉
今日は大寒、1年で最も寒い時期(のはず)。
最低気温はマイナス3℃あたりを示していたが、日が出る時間になると結構暖かい。風も穏やかでソーラークッカーにかけたヤカンの水はすぐに温まる。雨が降らず地面が乾ききっているせいか霜柱も立たず地面の下も穏やかそうだ。
それが原因かどうかは知らないが、真冬のこんな時期なのに草の花が咲いている。
3日前、畑に来たネイチャーゲームの仲間が、"こんな時期にホトケノザが咲いている!"と驚いていたが、毎日畑にいるとホトケノザが咲いていても特に何も思わない。しかし考えてみれば、"なんでこんな時期に咲いてるの?"と疑問に思う方が正しい。
春先に咲くホトケノザがこんな寒中に咲いているわけだから、不思議に思って当たり前だ。
ならば他にも咲いている花はないかと探してみると、"オオイヌノフグリ"や"ヒメオドリコソウ"も咲いているではないか!
恐らく、今日咲いたわけではなく、だいぶ前から咲いていたに違いない。単に気づかなかっただけだ。早春に咲くはずのこれらの花たち、こんな時期に咲いて大丈夫だろうかと心配してしまうが、そこは何度も寒さを経験ししっかりと遺伝子に情報を書き込んだ強者たち、そう簡単に寒さに負けることはないはず。
昨12月、暖かい日が続いた時キヌサヤエンドウが浮かれて花を咲かせてしまった。もちろんそんな時期に咲いたら春まで持つわけがない、案の定正月の寒波で簡単に枯れてしまった。4月にもう一度蒔き直しだ。
そんな軟弱な F1 種に比べ、何年もこの畑で生き続けてきた草たち、生き残る知恵としたたかさを備えている。さて、気候変動で生き残れるのは誰なのか?
▶PDF版をダウンロードする 2021.1.20 NO152-36 寒中花開く.pdf
イノッチファームでシェアリングネイチャー No.152-35〈1年生の先生に〉(2021.1.19)
イノッチファームでシェアリングネイチャー NO152-35
〈1年生の先生に〉
A小学校からの依頼で、出張する担任の代わりに1日だけ1年生の仮担任をすることになった。初めて会う子ども達、まずは最初の"つかみ"が大事と思い"竈門炭治郎"で出迎えることにした。
教室に入ってくる子ども達に"オハヨー!"と挨拶すると、けげんな顔をする子、"炭治郎だ"と嬉しそうな顔をする子、ニコニコ笑っている子といろんなリアクションが返ってくる。だが、どの子も初めて会うおじさん(イヤお爺さん)になんの警戒もなくすぐに寄ってきて、珍しそうに取り囲む。
代わりの先生が来ることは前日担任から聞いていたせいか、なんの躊躇もない。恐らく担任との信頼関係ができているクラスなのだろう、見ず知らずの大人にも絶対的な信用を寄せている。こんな無警戒で大丈夫か?と逆に心配になるほどだ。
仮担任とはいえ"先生"であることには変わりはない。1年生が代わりの先生に気を遣うこともないし忖度もしない。
恐らくいつも通りの光景なのだろう、ケンカもするし罵り合いもある。給食当番中誰かにやり方を注意され"もういい!"とキレて当番を止めてしまう子もいる。牛乳をこぼして、ぼう然と突っ立っている子もいる。
そうかと思えば"せんせい、内緒だよ。僕ね百万円持ってるんだ。減らさなくちゃいけないから今度ハムスターと金魚を買うんだ"と耳元で秘密を打ち明けてくれる子もいる。
「〇〇ちゃんと一緒に遊ぼうとしたら〇〇ちゃんが邪魔してくるの」「せんせい、おでこが痛い!」「トイレに行っていいですか?」・・・。
次々に寄ってたかってきてはピーチクパーチク とさえずる。
"あー、昔もこんなだったな~"と懐かしくなる。
コロナの影響で入学してから当たり前の学校生活を送れてない 1 年生、1 番ショッキングだったのは給食時間だ。
みんな前を向いて黙々と食べている。楽しいはずの給食時間がなんだか魔女にさらわれた子どもの食事のようで痛々しい。
しかし、それまでマスクをしていた子ども達が初めて素顔を見せた時間、口の周りに残るあどけなさは 7 歳の顔そのものだった。
▶PDF版をダウンロードする 2021.1.19 NO152-35 1年生の先生に.pdf
イノッチファームでシェアリングネイチャー No.152-34〈魚のいる川〉(2021.1.18)
イノッチファームでシェアリングネイチャー NO152-34
〈魚のいる川〉
「川に魚がいる」というのは当たり前の話だが、当たり前でない時期がしばらくあった。一度死んだ川は何十年もかかってやっと魚が棲める川になったが、本来の川の姿ではない。
それでも魚がいるということは、エサがある、産卵場所がある、隠れる場所がある ということで、居心地がいい場所になったに違いない。子どもの頃遊び相手だったアブラ ハヤやウグイの類が何百匹と群れているさまは圧巻だ。魚がいれば、カワセミやサギが来 るし、魚が棲めるなら蛇もカエルもカメも棲める。巻貝もいて夏にはホタルも飛び交う。 魚がいる川はそれ以外の生き物も繋がって生きていられる場所となる。
八瀬川(やせがわ)は、左岸に数百メートルにわたって崖がありそこから幾筋もの湧水が流れ出ている。春から夏にかけては田んぼに水を引くための貴重な水源でもある。
用水路がコンクリで固められる前には川から鮒が入ってきて産卵し、田植えが終わった田んぼにはたくさんの小鮒が泳いでいた。鮒以外にもメダカ、ドジョウ、カエル、タニシ、ゲンゴロウ・・・。たくさんの生き物がいて、子どもにとっては格好の遊び場でもあった。そんな生き物であふれていた田んぼは、かつてのようなにぎやかさは消えてしまったが、それでも田んぼがあれば、カエルが来るし、トンボも卵を産む。ミジンコなどの小さな生き物も発生し、小魚のエサとなる。実りの秋にはイナゴやスズメのえさ場となる。
田んぼを含め人の生活が健全であれば、直結している川でも魚が生きていける。降った雨が地面に沁み込み湧水となって川を作り、田んぼや池を潤しやがて海に流れ込む。そしてまた雨となって大地を潤す。
"魚が川にいる"光景はそんな循環の中で成り立つということを忘れないでいたい。
▶PDF版をダウンロードする 2021.1.18 NO152-34 魚がいる川.pdf
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