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イノッチファームでシェアリングネイチャー No.152-37〈上弦の月〉(2021.1.21)
イノッチファームでシェアリングネイチャー NO152-37
〈上弦の月〉
昼過ぎ、畑に行ったら昼の月が出ていた。上弦の月だった。写真を撮ったのは午後 2 時 半ごろでこの頃はまだ弦は斜め下を向いている。青い空に浮かぶ白い月はとても控えめで、静かに静かに息を殺して日が沈むのを待っているかのようだ。暗闇に煌々と光る月も好きだが、こんな風に目立たぬようにひっそりとそこに"いる"昼の月も好きだ。やがて主役が舞台から退くと夜の主役として輝きを増してくる。
今夜は近くに火星のお供を連れての運行だ。写真には撮れなかったが赤く輝く星が肉眼でもはっきりと見えた。6時半に撮った時にはすでに弦は垂直から少し傾きかけていた。ほぼ真上にあったのでカメラを向け続けると首が痛くなる。7時からオンライン会議だったのでしばらく外には出られず!
次に見たのは9時半過ぎ、すでに弦は上を向き始めている。
少し前、2年生の孫が"上弦"などという言葉を発していたので、「この歳で上弦の月を知っているとは!」と驚いたが、どうやら鬼滅の刃に出てくる鬼のグループのことだった。
写真を撮った後風呂に入ったら、なんと西側の窓から月が見えた。水滴がついた窓から見える月は弦も孤もはっきりせず、涙目で見るような月だった。なんだかずっとずっと遠い昔こんなぼやけた月を見たような・・・・。
今、時計の針は 11 時過ぎ、恐らく弦は真横になって沈み始めているかもしれない。寒いのでもう外には出ないけど、お陰で今日一日いろんな時間の月を見ることができた。
♪浴衣の君は・・・・・上限の月だったっけ 久しぶりだね~ 月見るなんて♪ 吉田拓郎
▶PDF版をダウンロードする 2021.1.21 NO152-37 上弦の月.pdf
イノッチファームでシェアリングネイチャー No.152-36〈寒中花開く〉(2021.1.20)
イノッチファームでシェアリングネイチャー NO152-36
〈寒中花開く〉
今日は大寒、1年で最も寒い時期(のはず)。
最低気温はマイナス3℃あたりを示していたが、日が出る時間になると結構暖かい。風も穏やかでソーラークッカーにかけたヤカンの水はすぐに温まる。雨が降らず地面が乾ききっているせいか霜柱も立たず地面の下も穏やかそうだ。
それが原因かどうかは知らないが、真冬のこんな時期なのに草の花が咲いている。
3日前、畑に来たネイチャーゲームの仲間が、"こんな時期にホトケノザが咲いている!"と驚いていたが、毎日畑にいるとホトケノザが咲いていても特に何も思わない。しかし考えてみれば、"なんでこんな時期に咲いてるの?"と疑問に思う方が正しい。
春先に咲くホトケノザがこんな寒中に咲いているわけだから、不思議に思って当たり前だ。
ならば他にも咲いている花はないかと探してみると、"オオイヌノフグリ"や"ヒメオドリコソウ"も咲いているではないか!
恐らく、今日咲いたわけではなく、だいぶ前から咲いていたに違いない。単に気づかなかっただけだ。早春に咲くはずのこれらの花たち、こんな時期に咲いて大丈夫だろうかと心配してしまうが、そこは何度も寒さを経験ししっかりと遺伝子に情報を書き込んだ強者たち、そう簡単に寒さに負けることはないはず。
昨12月、暖かい日が続いた時キヌサヤエンドウが浮かれて花を咲かせてしまった。もちろんそんな時期に咲いたら春まで持つわけがない、案の定正月の寒波で簡単に枯れてしまった。4月にもう一度蒔き直しだ。
そんな軟弱な F1 種に比べ、何年もこの畑で生き続けてきた草たち、生き残る知恵としたたかさを備えている。さて、気候変動で生き残れるのは誰なのか?
▶PDF版をダウンロードする 2021.1.20 NO152-36 寒中花開く.pdf
イノッチファームでシェアリングネイチャー No.152-35〈1年生の先生に〉(2021.1.19)
イノッチファームでシェアリングネイチャー NO152-35
〈1年生の先生に〉
A小学校からの依頼で、出張する担任の代わりに1日だけ1年生の仮担任をすることになった。初めて会う子ども達、まずは最初の"つかみ"が大事と思い"竈門炭治郎"で出迎えることにした。
教室に入ってくる子ども達に"オハヨー!"と挨拶すると、けげんな顔をする子、"炭治郎だ"と嬉しそうな顔をする子、ニコニコ笑っている子といろんなリアクションが返ってくる。だが、どの子も初めて会うおじさん(イヤお爺さん)になんの警戒もなくすぐに寄ってきて、珍しそうに取り囲む。
代わりの先生が来ることは前日担任から聞いていたせいか、なんの躊躇もない。恐らく担任との信頼関係ができているクラスなのだろう、見ず知らずの大人にも絶対的な信用を寄せている。こんな無警戒で大丈夫か?と逆に心配になるほどだ。
仮担任とはいえ"先生"であることには変わりはない。1年生が代わりの先生に気を遣うこともないし忖度もしない。
恐らくいつも通りの光景なのだろう、ケンカもするし罵り合いもある。給食当番中誰かにやり方を注意され"もういい!"とキレて当番を止めてしまう子もいる。牛乳をこぼして、ぼう然と突っ立っている子もいる。
そうかと思えば"せんせい、内緒だよ。僕ね百万円持ってるんだ。減らさなくちゃいけないから今度ハムスターと金魚を買うんだ"と耳元で秘密を打ち明けてくれる子もいる。
「〇〇ちゃんと一緒に遊ぼうとしたら〇〇ちゃんが邪魔してくるの」「せんせい、おでこが痛い!」「トイレに行っていいですか?」・・・。
次々に寄ってたかってきてはピーチクパーチク とさえずる。
"あー、昔もこんなだったな~"と懐かしくなる。
コロナの影響で入学してから当たり前の学校生活を送れてない 1 年生、1 番ショッキングだったのは給食時間だ。
みんな前を向いて黙々と食べている。楽しいはずの給食時間がなんだか魔女にさらわれた子どもの食事のようで痛々しい。
しかし、それまでマスクをしていた子ども達が初めて素顔を見せた時間、口の周りに残るあどけなさは 7 歳の顔そのものだった。
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イノッチファームでシェアリングネイチャー No.152-34〈魚のいる川〉(2021.1.18)
イノッチファームでシェアリングネイチャー NO152-34
〈魚のいる川〉
「川に魚がいる」というのは当たり前の話だが、当たり前でない時期がしばらくあった。一度死んだ川は何十年もかかってやっと魚が棲める川になったが、本来の川の姿ではない。
それでも魚がいるということは、エサがある、産卵場所がある、隠れる場所がある ということで、居心地がいい場所になったに違いない。子どもの頃遊び相手だったアブラ ハヤやウグイの類が何百匹と群れているさまは圧巻だ。魚がいれば、カワセミやサギが来 るし、魚が棲めるなら蛇もカエルもカメも棲める。巻貝もいて夏にはホタルも飛び交う。 魚がいる川はそれ以外の生き物も繋がって生きていられる場所となる。
八瀬川(やせがわ)は、左岸に数百メートルにわたって崖がありそこから幾筋もの湧水が流れ出ている。春から夏にかけては田んぼに水を引くための貴重な水源でもある。
用水路がコンクリで固められる前には川から鮒が入ってきて産卵し、田植えが終わった田んぼにはたくさんの小鮒が泳いでいた。鮒以外にもメダカ、ドジョウ、カエル、タニシ、ゲンゴロウ・・・。たくさんの生き物がいて、子どもにとっては格好の遊び場でもあった。そんな生き物であふれていた田んぼは、かつてのようなにぎやかさは消えてしまったが、それでも田んぼがあれば、カエルが来るし、トンボも卵を産む。ミジンコなどの小さな生き物も発生し、小魚のエサとなる。実りの秋にはイナゴやスズメのえさ場となる。
田んぼを含め人の生活が健全であれば、直結している川でも魚が生きていける。降った雨が地面に沁み込み湧水となって川を作り、田んぼや池を潤しやがて海に流れ込む。そしてまた雨となって大地を潤す。
"魚が川にいる"光景はそんな循環の中で成り立つということを忘れないでいたい。
▶PDF版をダウンロードする 2021.1.18 NO152-34 魚がいる川.pdf
イノッチファームでシェアリングネイチャー No.152-33〈大きなカブ〉(2021.1.17)
イノッチファームでシェアリングネイチャー NO152-33
〈大きなカブ〉
"おじいさんがカブをひっぱって、うんとこしょ どっこいしょ それでもカブはぬけません。"
そのあと、おばあさんが来て、孫が来て、犬が来て、猫が来て、最後にネズミが来てやっとおおきなカブが抜けました。というロシアの話はたいがいの1年生の教科書に出てくる。
そこまで大きくはないが今季初めて作った大きなカブは、けっこう存在感がある。2年生の孫が抜こうとしたが本当に抜けなかった。測ってみたら4㌔あった。
薄く切ってコンブと市販の漬物用の酢を入れて一晩おけばあのぬめりのある"千枚漬け"が簡単にできてしまう。京都の千枚漬けには及ばないが、素人にしてはなかなかの味になる。
ダイコンや普通のカブと比べてみるとその大きさが際立つ。4㌔を片手に持ち上げて写真を撮ろうとすると、結構きつい。1㍉にも満たないようなタネから、たった3~4か月でこんなにも大きくなってしまうことにただただ驚嘆!
包丁を入れると水分を含んだはちきれんばかりの真っ白い肌が飛び出し思わず舌なめずりをする。来季も絶対タネを蒔く!
▶PDF版をダウンロードする 2021.1.17 NO152-33 大きなカブ.pdf
イノッチファームでシェアリングネイチャー No.152-32〈みーつけた〉(2021.1.15)
イノッチファームでシェアリングネイチャー NO152-32
〈みーつけた〉
近くの公園にエノキの木があったので根元の葉っぱをひっくり返してみた。この写真を見て何者かが分かった方は恐らく少ないだろうし、1年前は私もその一人だった。
この時期、エノキの落ち葉の裏にはオオムラサキやゴマダラチョウ、アカボシゴマダラの幼虫が潜んでいるのだ。自分で見つけたのは初めてだったので少し嬉しい(ヨシッ、と小さくガッツポーズ)。
2匹見つけたが、どれがどれやら同定できない。家に帰って調べてみたら、左下の方は突起が4つで3番目が大きいのでアカボシゴマダラだ。右上のは突起が3つにも見えるし4つにも見える。3つだったらゴマダラチョウだがどうだろうか。どっちもアカボシだと悲しい。
このアカボシゴマダラは特定外来生物に指定され本来ここにいてはいけないチョウだ。人為的に持ち込まれたものが繁殖しどんどん広がっていき、生態系の攪乱が起きてしまう。"カワイイ" "きれい"だけで無責任に外来種を飼ってはいけない。
子どもの頃、"ソウシチョウ"というきれいな鳥を飼ったことがあるが、その鳥が今野生で繁殖している。インドや中国から持ち込まれた鳥で特定外来生物だ。安易な飼育が固有の生き物に大きな影響を与えてしまうことをどこかできちんと教えないといけないと思う。
▶PDF版をダウンロードする 2021.1.15 NO152-32 みーつけた.pdf
イノッチファームでシェアリングネイチャー No.152-31〈夕暮れ時〉(2021.1.14)
イノッチファームでシェアリングネイチャー NO152-31
〈夕暮れ時〉
もうすぐ日が沈むという時間帯、公園を散歩した。西日を浴びたメタセコイアとシルエットになったメタセコイアが対になって向かい合っている。見る場所によって陽になったり陰になったり、表と裏は状況次第でいくらでも変わってしまう不思議な光景だ。こうしてみるとメタセコイアはどれも見事な円錐形を成している。葉がついている時にも円錐形であることは分かるが、葉が落ちたこの時期はより鮮明に尖り具合が見えてくる。
1本の木をじっと見ていると、葉緑素を抜き取った時に透けて見える葉脈にそっくりだ。1枚の葉の葉脈と木全体の枝ぶりが相似形であることが面白い。花も実も葉も脱ぎ捨て、全ての飾りをそぎ落としてあるがままの姿で冬空に立つ姿は、一切の無駄をそぎ落とした修行僧のようで見ていてすがすがしい。人間もこうやって毎年リセットしながら生まれ変われたらどんなにいいことだろう。
あちこち写真を撮っているといつの間にか日が沈み、どんどん寒くなる。沈んだ日の向こうは真っ赤に燃えてくる。夕日に炙り出された木の枝が1日の終わりを惜しんで手を振っているようだ。夕暮れ時は何か寂しさを伴うものだが明日も必ず日は昇ることが約束されているので、一時の寂しさは希望に代わる。夕焼けは明日の晴れだけでなく希望をも連れてくると思いたい。
▶PDF版をダウンロードする 2021.1.14 NO152-31 夕暮れ時.pdf
イノッチファームでシェアリングネイチャー No.152-30〈カワセミ〉(2021.1.13)
イノッチファームでシェアリングネイチャー NO152-30
〈カワセミ〉
家からすぐ近くに鳩川があり朝の散歩中にカワセミを見つけた。翡翠と書き、飛ぶ宝石などと言われている。コバルトブルーの羽を広げ、"チーッ"と鳴きながら水面近くを飛び去って行く姿はまさに宝石そのもの。鳥の中で一番好きかもしれない。
子どもの頃遊んだ鳩川は、高度経済成長と共に汚れはじめ、洗剤の泡がぷかぷか浮かぶ死の川となってしまった。それから何十年、下水が完備し少しずつ水もきれいになって、魚も戻ってきた。
カワセミという鳥を知ったのは教員になって宮沢賢治の「やまなし」という作品に出合ってからだ。本物を見たかったがその頃の川にはカワセミはいなかった。餌となる魚が棲めるような川は山奥に行かないとなかった。
汚れた川が少しずつきれいになってくると、公園の池や近くの川にもカワセミが戻り、身近な鳥となった。人間が作り出した環境が生き物の生活スタイルにも大きく影響する典型例だ。
田んぼに農薬を使わず、ドジョウやタニシを増やしてコウノトリが自然繁殖できるようにした例や、森林伐採で大きな木の洞がなくなってしまった森に人工的な洞を設置し、シマフクロウの繁殖を手助けした例、食草となるカンアオイを植えてギフチョウを保護している例など、人間のせいで絶滅寸前に追い込まれている生き物を取り戻すには膨大な時間と費用がかかる。
鳥が生きられない世界は人も生きていけない。Today birds, tomorrow men 「今日の鳥は 明日の人間」。
▶PDF版をダウンロードする 2021.1.13 NO152-30 カワセミ.pdf
イノッチファームでシェアリングネイチャー No.152-29〈生きものの痕跡〉(2021.1.12)
イノッチファームでシェアリングネイチャー NO152-29
〈生きものの痕跡〉
朝目が覚めてカーテンを思いっきり開ける。目の前に一面の銀世界が飛び込み、雪の細かい結晶が朝日に照らされてキラキラ輝いている、はずだった!
何のことはない昨日と同じ埃っぽい世界がどんよりと現れただけ。
昨日の天気予報では「関東地方の平野部でも積雪があるでしょう」とあんなに言っていたのに、雨すら降らない。
いや、雪を期待していたわけではなく、12月からずっと雨らしい雨が降っていなかったのでとにかく水分が欲しいのだ。畑は土ぼこりが舞い、すでにタマネギは茶色く枯れ始めてきている。
ぼやいても仕方ないので、今日はカメラ片手に「生き物の痕跡探し」をしてみた。手袋をした手を更にポケットに突っ込みとにかくあちこち歩き回る。
こんな寒い日で生き物そのものは見つからなくても何時間前、何か月前は確かにそこにいた"証"がいくつも見つかった。きっと一つ一つの命がその時その時を懸命に生きていたに違いない。
抜け殻も食痕も巣穴も卵も、みんなみんな命の履歴。時が経ち、少しずつ風化はしてもその時に確実に生きていたという"動かぬ証拠"が次々に上書きされて命が繋がっていく。
そんな上書きされた"痕跡"はこの先ずっと見られるのだろうか?9 日放映されたN スペ、「2030・ 未来への分岐点①暴走する地球温暖化」が頭をよぎる。
▶PDF版をダウンロードする 2021.1.12 NO152-29 生き物の痕跡.pdf
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