スタッフブログ
私の 〜「自然が好き」で世界を変える〜 (事務局次長 藤田航平)
こんにちは、「よいしょ」こと、藤田航平です。
ビジョンについて、みんなで書いてみよう!と盛り上がった際に、「他の人の読んだら、感化されちゃうから読まないほうが良いよ!」と言われ、しばらくブログを見るのを我慢してました(笑)。
さて、では今回も長文いきますよ。
ビジョン誕生秘話付き。
お時間のあるときにどうぞ〜。
高校1年の終わりの春、NPO法人緑の地球ネットワークが主催する黄土高原の緑化ツアーに参加しました。
多くの学びがある中、特に環境問題に興味が強かった私には、
「技術だけでは緑化は成功しない」という話が強く印象に残っています。
地元の人たちが緑化に価値を見出せなければ、緑化は進まないし、続かない。
例えば緑化のためにと植えた木が、大きく育つ前に切られちゃうんです。
それは暖を取るためで、生きるため。
じゃあ木に実る果実が現金収入に変わり、そのお金で電気を引けたら・・・木の価値が変わりますよね。
そしてツアー後、家にあった分厚い大学一覧をパラパラとめくっていたときに、
「人間自然共生学」という言葉を見つけて、一念発起して東京農工大学へ。
進学後は環境問題について学ぶ機会は多いものの、どうにも頭でっかちで悶々としていました。
なんで産業廃棄物の不法投棄が続くのか、なんでキャンパス内でさえタバコの吸殻が落ちてるのか・・・と悩む日々。
そんなときに環境教育の先生に「ゴールデンウィークに、ネイチャーゲームの集中講義があるんだけど出ないか?」と誘ってもらいました。
いい意味でショッキングな時間でした。
めっちゃ楽しい。
ネイチャーゲームは遊んでいるうちに心と自然がぐっと近づくんですよね。
自然が織りなす景色や、ぬくもりを感じる花々、精密な昆虫の身体の作りなど、
一生懸命生きる命にアンテナがぴーんと立ち上がって、自然好きな自分が帰ってきた感じ。
そしてゴールデンウィーク明けには、学生が大学の中庭の林の中に車座になって、直に地面に座って話をしてるんです。
「世界が変わった瞬間」を目にして、そして「いいなー楽しそう」と素直に思う自分がいました。
ここから頭じゃなくて、心で環境問題に向き合うように
シフトチェンジがはじまったのだと思います。
そして行き着いたのが「自然大好き人間を増やす」というミッション。
自然が好きになれば、自然を大切にしたいと思うようになる、
そして「ゴミのポイ捨てゼロ」になるんじゃないか?と。
コロナ禍のある日、「定款をもっと分かりやすく伝えられないか」と
事務局長の渡辺と二人でオンライン会議をしているときに、
「なんで、よいしょはネイチャーゲームしてるの?」と聞かれて、
この仮説を共有しました。
そこから、
・自然が好きだと何が違う?
・何が変わる?
・何が変えられる?
からの
ビジョン "「自然が好き」で世界を変える" の誕生でした。
おお、世界か!
大きく出ますね!でも、小さくも取れますね!それいきましょう!みたいな感じ。
環境問題を解決し、人類がこの地球と共に生きていくためには、
1)自然を守る・再生する・傷つけない技術やノウハウ
2)人々の生活を支えるプラスの側面(経済的価値や健康面への効果など)
3)自然と共に生きる心
が揃うことが大切だと思っています。
今話題のネイチャーポジティブ、自然再興の考え方にも通じますが、
3にこそ力点をもたせ、純粋に「好きだから守る」まで落とし込みたい、というのが私の考えです。
私たちは自然に囲まれて生きています。
自分の身体はもちろん、あらゆるものが地球由来です。
自然に対する畏敬の念は、この事実からも感じられるはず。
にも関わらず、自然を尊重し共に生きる社会は遥か遠くの話のようです。
「春がほとんどなくなった今年」を思うと、未来の世代に「季節」も残せなくなるのでは?
「沈黙の春」の次は「刹那の春」でしょうか。
「自然が好き」という気持ちは、その自然をよく見ること、よく想像することにつながっています。
タバコの吸い殻が川に流れたら?
ミサイルが海に落ちたら?
原発がまたメルトダウンしたら?
このまま大量消費型の社会で進んだら?・
・
・
大好きな自然が、そこに生きる生きものたちがどうなるかな、と好きなものに思いを寄せるようになったとき、
きっと「身近な世界」も「大きな世界」も変わっていきます。
私たちの周りにあるかけがえのないものを守り、同じ地球に生きる仲間と共に生きていくために、まずは「好き」から始めたい。
誰かに押し付けられたからではなく、心の底から湧き出る思いから、自然と共生していく「選択」をする。
そんな世界に目指したいですね。
こんな感じで、相変わらず頭でっかちに、いろいろ考えつつですが、
シンプルに「楽しい」からネイチャーゲームやってます。
次男との保育園からの帰り道に、さり気なくネイチャーゲームを入れるのがマイブームです。
(事務局次長 藤田航平)
心豊かな湖面
ネイチャーゲームのアクティビティのひとつに、〈心を映す湖面〉というのがあります。
小石をひとつ投げた湖面は、波紋ができるものの、やがて静まり、元の穏やかな水面に戻ります。
自分の心もそうでありたいですね。
昼休みは、会社脇のこの池の前によく来ます。
心がホッとします。
同時に、自分の心の状態を感じることもできます。
今日は、「豊かな自分」を感じました。
先週末から降り続いた雨で満たされた池は、水でたぷたぷになっています。
そこにさらに流れ込みがあります。
カモが泳ぎ、ウグイスの遠い声が聞こえます。
ヤマモモの葉の色が、目に飛び込んできました。
豊かですね。
なんでもない、ただそこにある自然が、自分の心の状態を教えてくれます。
私の 〜『自然が好き』で世界を変える〜(専務理事 三好)
国際交流事業を長年やってきました。さまざまな国の人と、ネイチャーゲームを通して、自然にむきあい、わかちあう機会をもってきました。その土地や人のことはわからないことだらけでも、「そこにある自然✖️ネイチャーゲーム」で、何かを提供できるというのは、私の人生にとっては特別なギフトだったと思います。
想定外の反応は記憶に残ります。フィジーの村で<フィールドビンゴ>を実施したときは、「薬草」という項目に、こどもたちがさまざまな草や実を摘んできて次々説明してくれるのに感心したものです。ブラジルアマゾン地域では10mほど間隔あけて森を静かに歩く「ソロウォーク」のはずが、みんながにぎやかになってしまうのにとまどいました。ヒョウがでないかと怖かったようです。(30年ぐらい森を管理する人もみたことがない)。世界中で注目されるアマゾンの森のそばにいても、森に入る経験がまったくない人が多くいたことにも驚きました。日本では教育の中で「遠足」など最低限の自然体験が保証されているのだと知りました。
無邪気な表情、ほがらかであたたかな雰囲気は、どこの国にいっても共通で「平和」そのもの。それぞれはきっと悩みも困難もかかえている日常、そんな中で普段の状況や立場から自由になって、自然とむきあう時間はとても貴重なものだと感じます。
今、日本の中での多文化共生が課題になっています。わたしの暮らす町でも、駅までの道すがら他の言語が聞こえてくるのがごく普通になりました。自治会の話し合いでは、言葉の通じない住民とのトラブルが話題になることもありました。近所で若いアラブ系のお母さんが、ベビーカーをひいているので声をかけたら、5年ほど前に移住してきて孤軍奮闘の子育中。頼る人もいないので本当に大変だともらしていました。この小さな町もまさに多文化共生の只中にいることを実感します。
それぞれの文化、慣習、生活レベル、立場はさまざまでも、自然を介してひとときこころが解放される機会をつくったらよろこんでもらえるかな...お互いを理解したり、新たなつながりをつくる場にならないかな...いろんな国の人と友人になれるかしら...異国にでかけなくても、身近なところで、わたしの好きな「自然✖️異文化」で役に立てそうな気がしてきました。
(専務理事 三好直子)
私の 〜『自然が好き』で世界を変える〜(ショップ 幸山)
「自然は好きですか?」
そう聞かれたら、「はい、好きです。」とは答えるものの、なぜ自然が好きなのかまでは即答できないかもしれません。
それでも何かしらの理由を探すとするならば、「なんか良い」になると思います。
(楽しいなのか、落ち着くなのか、他の何かなのかはわかりませんが、自然はなんか良いんです)
それが私の"自然が好き"であり、私と自然との関係性です。
大学進学で上京するまでのほとんどを、コンビニもスーパーも信号機もない田舎で過ごした私にとって、自然とは常に身近にあるものでした。
小学生の頃は、黄色い帽子に野いちごを摘み、ランドセルにはタケノコを突っ込んで下校していました。
時には、通学路から外れた整備されていない山道を抜けて帰ったり、竹やぶに秘密基地を作るのに夢中で帰りが遅くなったこともあったと記憶しています。
約2kmあった通学路は、毎日が自然との触れあいでした。
中学生になると遊び場は、山よりも川に。
小学生の頃に何度か溺れかけた経験があったので、川との接し方は慎重に、でも安全だとわかれば大胆に。といった感じです。
本気を出されたら敵わない相手だけど、節度を持って寄り添えば寛容なのが自然である。という感覚は、この頃から認識し始めたものだと思います。
高校生になると、部活に勤しみ、夜になって帰宅という生活だったので、自然の中で遊ぶことは無くなりましたが、家に着くと、玄関の扉を開ける前に星を眺めるという習慣がありました。
小学生の頃に見た、しし座流星群の感動は、高校生になっても自分の中に残り続け、それは大人になった今となっても同じみたいです。
「東京には自然が少ない」という定型文、ありますよね。
確かに、制限がなく自由に自然と触れあえるような環境は、少ないです。
でも私は、東京で見る僅かな星も、均等な間隔で生えた街路樹も、好きです。
"自然が好き"という言葉は、人によって尺度が異なります。
ただ、だからこそ様々な"自然が好き"があっていいと思っています。
身近な自然が好きな人も、遠出して出会える自然が好きな人も、自然観察が好きな人も、自然体験が好きな人もいる。
そんな個性豊かな"自然が好き"が、もっと増えていくきっかけ作り。
それが今の私にできることなのだと思います。
私の 〜『自然が好き』で世界を変える〜(会員サービス室 山田)
子どもの遊び場にちょうどいい林が
自宅のすぐ近くにある場所で育った私は
友達と自作アスレチックなるものを作り
毎日、猿のように飛び回って遊んでいた。
それはとても楽しく心地よい時間で
「自然が好き」っていう気持ちが芽生えたきっかけだったのだと思う。
そして
「自然が好き」という気持ちと共に
私の世界はどう変わってきたのだろう。
数々の変化があるけれど
一番の変化は
今から30年ほど前
野生の鹿と目があい、しばし見つめ合っていた時
「あっ、今、私はこの鹿と同じ空気を吸っている。同じ空間にいる!私たちは同じ!」
という感動と実感が湧き上がり
地球上に存在する全ては何かが何かを支配するのでも
何かが何かよりも特別とかでもなく
みんな「同じ」なんだってことに気づけたこと。
気づけたというより、その事実が理屈抜きでストンと身体に刻みこまれた感じ。
強烈な自然との一体感を体験したら
自ずと意識も行動も
全ての仲間たちみんなと調和して生きていくには
みんなと気持ちよく過ごしていくには
どうしたらいいかなっていうのがベースになった。
自分自身が変わっていったら
周りの世界も変わっていった。
だから信じている。
一人一人の変化は大きな力となり
「自然が好き」な人たちが増えたら
きっと「世界」は変わらずにはいられない。
(会員サービス室 山田久美子)
私の 〜「自然が好き」で世界を変える〜(事務局長 渡辺)
ネイチャーゲームの仕事に就いてかれこれ30年以上になる
働きはじめた最初の頃のこと
ネイチャーゲームの先輩がたとイベントの下見に出かけた。
そこで一番驚いたことは
わずか50メートルほどの小道を30分かけて歩くことだった。
イベントの下見なので、今となれば当たり前に思えることなのだが、
まだ経験が浅かった私にとっては大きな衝撃だった。
地味なキノコを発見してはなんだろうかと立ち止まり、
鳥の羽が落ちていればその鳥について熱く語り、
獣の糞が落ちていれば、落ちていた枝で興奮しながら突く(笑)
まったく前に進まなかった。
晴天の霹靂と言うと少々大袈裟に聞こえるかもしれないが、
それぐらいの衝撃が走ったのは事実である。
と同時に、先輩たちの溢れんばかりの
「自然が好き」という思いが、伝わってきたのをよく覚えている。
「好き」という気持ちには「強い力」がある
誰もが夢中になり、楽しくなり、笑顔がこぼれる
そんな密度の高い「ポジティブな力」を持っている
わずか50メートルの小道を30分かけて歩く
人と自然が「好き」でつながったあの空間には
争いも、否定も、攻撃もない
平和でエネルギーに満ちた時間が流れていた
人と自然が「好き」でつながれば「何か」がかわる
たくさんの「何か」が集まれば、
もっと素敵な世界や未来につながっていくと信じている
だから、
もっともっと人と自然を「好き」でつなげたい
「自然が好き」を増やしたい
(事務局長 渡辺峰夫)
空と大地が私に触れた瞬間
冬の始まりの頃、なんとなく近所の公園のベンチに座っていました。
大きな銀杏の木が何本もある公園。
他に人は居らず、静かに座っていました。
ふと気がつくと、足元には、たくさんの落ち葉。
少しずつ色褪せて、これからゆっくり朽ちていく。
すっかり葉を落とした銀杏の木は少し寒々しいのだけど
この落ち葉たちが再び還って
また芽吹くのだなぁ。
あぁなんて真っ当な生き方なんだろう。
私もこんな風に命を全うしたい・・・。
・・・。
あ、もしかしてこれは、
空と大地が私に触れちゃった?
朽ちていく落ち葉から力をもらった出来事でした。
自分の世界が変わる瞬間
この前の講座の開催中、ネイチャーゲーム〈ミクロハイク〉で、全く動かなくなった受講者がいました。〈ミクロハイク〉は虫めがねで小さな世界を探検するアクティビティです。地面のちょっとした窪みに身をかがめて、微動だにしないのです。体調でも悪くなって、動けなくなったのかと心配するほどでした。
おそらく、彼女の意識のすべてが、虫めがねの先に注がれていたのでしょう。初めて見るかのようなミクロの世界の素敵さに心を奪われているのが明らかです。もう集合のコールがなっていることに気づかずに、ずっと虫めがねの先の世界に入り込んでしまっているようでした。
そこで僕は、そっと「夢中ですね」って声を掛けたら、「ぎゃっ」と悲鳴を上げて、顔を上げてくれました。僕がそばまで近づいていることすら気が付かなかったようです。顔は、満面の感動の色になっており、涙ぐんでいるようにも見えました。
きっと、彼女の中の世界が一変した時間だったに違いありません。自然の中で心を開き、美しい世界に入っていたのです。これまでの日常では得ることのできなかったものを目にして、言葉に表せないほど、心が動かされたことだと思います。日本シェアリングネイチャー協会では、「自然が好きで世界を変える」と掲げています。彼女の世界が変わった出来事でした。
大人なのに夕陽に向かってみんなで走る!
忘れられない、あるシーンがあります。大のおとながこぞって夕陽に向かって走った記憶です。数年以上前のネイチャーゲーム会員の研修の時の出来事でした。休憩もあと5分ほどで終わろうとしているときに、窓越しにオレンジ色の夕陽が美しく差し込んだのです。それを見た瞬間、誰からともなく野外に飛び出し、夕日に向かってみんな走り出しました。
まあ、常識的には起きにくい出来事ですよね。夕陽という対価にならないものに向かって休憩時間を守るというルールを破るわけですから。夕陽を見て、湧き上がってくる言葉にできない惹かれるものに向かって、仲間と一緒に走る喜びを感じました。
そんな、「心のままに行動する」ということを、本当はおとなもやりたいんですよね。妙に人の目を気にしたり、「こうあらねばならぬ」という毎日が、本当にやりたいことを止めているのかもしれません。そうやってタガを外し、一瞬の判断で夕陽に向かって走り出すことを決めて、みんなで外に飛び出す!何だか幸せってそういう事かもしれないと思います。
心が沸き立つことを自由にできる世界はいいですね。その世界を作ることが出来た時、僕らはきっとお互いを受容し、尊重し、そして応援すると思います。他人が、いくらにもならないような事に取り組んいても、それを応援できるようになるでしょう。世界があったかい空気に包まれそうです。これは平和ですね。
(写真は別の時に撮った別の場所です)
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