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スタッフのつぶやきの記事一覧

私の 〜『自然が好き』で世界を変える〜(会員サービス室 山田)

子どもの遊び場にちょうどいい林が
自宅のすぐ近くにある場所で育った私は
友達と自作アスレチックなるものを作り
毎日、猿のように飛び回って遊んでいた。

それはとても楽しく心地よい時間で
「自然が好き」っていう気持ちが芽生えたきっかけだったのだと思う。

そして
「自然が好き」という気持ちと共に
私の世界はどう変わってきたのだろう。

数々の変化があるけれど
一番の変化は
今から30年ほど前
野生の鹿と目があい、しばし見つめ合っていた時
「あっ、今、私はこの鹿と同じ空気を吸っている。同じ空間にいる!私たちは同じ!」
という感動と実感が湧き上がり
地球上に存在する全ては何かが何かを支配するのでも
何かが何かよりも特別とかでもなく
みんな「同じ」なんだってことに気づけたこと。
気づけたというより、その事実が理屈抜きでストンと身体に刻みこまれた感じ。


強烈な自然との一体感を体験したら
自ずと意識も行動も
全ての仲間たちみんなと調和して生きていくには
みんなと気持ちよく過ごしていくには
どうしたらいいかなっていうのがベースになった。

自分自身が変わっていったら
周りの世界も変わっていった。

だから信じている。
一人一人の変化は大きな力となり
「自然が好き」な人たちが増えたら
きっと「世界」は変わらずにはいられない。


(会員サービス室 山田久美子)

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私の 〜「自然が好き」で世界を変える〜(事務局長 渡辺)

ネイチャーゲームの仕事に就いてかれこれ30年以上になる

働きはじめた最初の頃のこと
ネイチャーゲームの先輩がたとイベントの下見に出かけた。

そこで一番驚いたことは
わずか50メートルほどの小道を30分かけて歩くことだった。

イベントの下見なので、今となれば当たり前に思えることなのだが、
まだ経験が浅かった私にとっては大きな衝撃だった。

地味なキノコを発見してはなんだろうかと立ち止まり、
鳥の羽が落ちていればその鳥について熱く語り、
獣の糞が落ちていれば、落ちていた枝で興奮しながら突く(笑)
まったく前に進まなかった。

晴天の霹靂と言うと少々大袈裟に聞こえるかもしれないが、
それぐらいの衝撃が走ったのは事実である。

と同時に、先輩たちの溢れんばかりの
「自然が好き」という思いが、伝わってきたのをよく覚えている。

「好き」という気持ちには「強い力」がある

誰もが夢中になり、楽しくなり、笑顔がこぼれる

そんな密度の高い「ポジティブな力」を持っている

わずか50メートルの小道を30分かけて歩く

人と自然が「好き」でつながったあの空間には
争いも、否定も、攻撃もない 
平和でエネルギーに満ちた時間が流れていた

人と自然が「好き」でつながれば「何か」がかわる

たくさんの「何か」が集まれば、
もっと素敵な世界や未来につながっていくと信じている

だから、
もっともっと人と自然を「好き」でつなげたい
「自然が好き」を増やしたい


(事務局長 渡辺峰夫)

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空と大地が私に触れた瞬間

冬の始まりの頃、なんとなく近所の公園のベンチに座っていました。

大きな銀杏の木が何本もある公園。

他に人は居らず、静かに座っていました。

ふと気がつくと、足元には、たくさんの落ち葉。

少しずつ色褪せて、これからゆっくり朽ちていく。

すっかり葉を落とした銀杏の木は少し寒々しいのだけど

この落ち葉たちが再び還って

また芽吹くのだなぁ。

あぁなんて真っ当な生き方なんだろう。

私もこんな風に命を全うしたい・・・。

・・・。

あ、もしかしてこれは、

空と大地が私に触れちゃった?

朽ちていく落ち葉から力をもらった出来事でした。

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自分の世界が変わる瞬間

ミクロハイク

この前の講座の開催中、ネイチャーゲーム〈ミクロハイク〉で、全く動かなくなった受講者がいました。〈ミクロハイク〉は虫めがねで小さな世界を探検するアクティビティです。地面のちょっとした窪みに身をかがめて、微動だにしないのです。体調でも悪くなって、動けなくなったのかと心配するほどでした。

おそらく、彼女の意識のすべてが、虫めがねの先に注がれていたのでしょう。初めて見るかのようなミクロの世界の素敵さに心を奪われているのが明らかです。もう集合のコールがなっていることに気づかずに、ずっと虫めがねの先の世界に入り込んでしまっているようでした。

そこで僕は、そっと「夢中ですね」って声を掛けたら、「ぎゃっ」と悲鳴を上げて、顔を上げてくれました。僕がそばまで近づいていることすら気が付かなかったようです。顔は、満面の感動の色になっており、涙ぐんでいるようにも見えました。

きっと、彼女の中の世界が一変した時間だったに違いありません。自然の中で心を開き、美しい世界に入っていたのです。これまでの日常では得ることのできなかったものを目にして、言葉に表せないほど、心が動かされたことだと思います。日本シェアリングネイチャー協会では、「自然が好きで世界を変える」と掲げています。彼女の世界が変わった出来事でした。


大人なのに夕陽に向かってみんなで走る!

夕陽に向かって走れ!

忘れられない、あるシーンがあります。大のおとながこぞって夕陽に向かって走った記憶です。数年以上前のネイチャーゲーム会員の研修の時の出来事でした。休憩もあと5分ほどで終わろうとしているときに、窓越しにオレンジ色の夕陽が美しく差し込んだのです。それを見た瞬間、誰からともなく野外に飛び出し、夕日に向かってみんな走り出しました。

まあ、常識的には起きにくい出来事ですよね。夕陽という対価にならないものに向かって休憩時間を守るというルールを破るわけですから。夕陽を見て、湧き上がってくる言葉にできない惹かれるものに向かって、仲間と一緒に走る喜びを感じました。

そんな、「心のままに行動する」ということを、本当はおとなもやりたいんですよね。妙に人の目を気にしたり、「こうあらねばならぬ」という毎日が、本当にやりたいことを止めているのかもしれません。そうやってタガを外し、一瞬の判断で夕陽に向かって走り出すことを決めて、みんなで外に飛び出す!何だか幸せってそういう事かもしれないと思います。

心が沸き立つことを自由にできる世界はいいですね。その世界を作ることが出来た時、僕らはきっとお互いを受容し、尊重し、そして応援すると思います。他人が、いくらにもならないような事に取り組んいても、それを応援できるようになるでしょう。世界があったかい空気に包まれそうです。これは平和ですね。

(写真は別の時に撮った別の場所です)


私の「『自然が好き』で世界を変える」(マーケティング部 豊国)

2021年、日本シェアリングネイチャー協会のビジョンが、「『自然が好き』で世界を変える」に変わりました。なんとも懐の深い言葉です。人によって捉え方が様々であろうこの言葉。私にとってはどんな言葉なのだろうか、改めて考えてみました。

そもそも私は「自然は守らなくてはいけない」という知識から入っていった派です。東京の下町育ちですが、周りはビルばっかりで、親もインドア派だったため、自然に触れる機会は少なかったのです。そんな私が「自然を守らなくては!」と思い始めたきっかけは、小学生の時に読んだ『シートン動物記』。この「本から自然好きになった」というエピソードは、人に話すと「へ〜珍しいね」とよく言われます。いわゆる'原体験'が少ない人間なのです。

そんな頭でっかちな状態で「自然が好き」を掲げていた私が、心から「自然って素晴らしい!」と思えたのは、やっぱりネイチャーゲームのおかげです。リーダー養成講座を受けた時に感じた「自然との一体感」は今でも忘れがたい経験です。私の世界を変えた、ネイチャーゲーム。そこから生まれた「自然が好き」パワーはまた、また新たな誰かの世界を変えていくのではないでしょうか。そんな思いで、私もネイチャーゲームを人に指導しています。

「自然が好き」なだけでは、この世界は変えられないかもしれない。でも尊敬する偉人、マハトマ・ガンジーの言葉に「世界に変化を望むのなら、あなた自身がその変化になりなさい」というものがあります。私に勇気をくれる、大好きな言葉で、生きる指針にしています。自然と共生する世界であってほしい、だからまずは私自身が自然と共生することを目指す。これが私の「世界を変える」です。

みなさんの「世界を変える」も聞いてみたいです!もしよかったらコメントください!

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香り高き水仙の花

散歩道の水仙

みなさんの地域では、もう水仙は咲きましたか?
僕が住んでいる長崎では、きれいな花がたくさん見られます。
咲き始めの花はイキイキとしていて、エネルギーを感じます。
意識すると、あっちにもこっちにも咲いていることに気がつきます。
そんな季節なのでしょうね。

しかし面白いことに、咲き始めたことに全然気が付かなかったのですよ。
毎日通る散歩道にきれいに咲き揃うまで、その存在を気にも留めませんでした。
だいたいがキョロキョロ自然を楽しみながら歩いているつもりなのにですね。
不思議なことです。

それが、咲いていることに気がついたのは「香り」からです。
朝から霧雨模様の空の中、湿気を含んだ森の香りが、道を曲がった瞬間に、いきなり高貴な香りに変わりました。
「あっ」と心のなかで叫びました。そして目の前には、咲き揃った白と黄色の花、葉っぱと茎の緑が目に入りました。
毎年ここで咲いてくれる水仙です。

そう、ぜひ嗅覚から季節の花を見つけてみませんか?
視覚に意識の多くを費やしている現代だからこそ、それ以外の感覚を大事にしたいものです。
嗅覚で季節を発見すると、喜びも増しますよ。


変わらないものに心を動かされることはありませんか

「猫のしっぽ」と名付けてみた

この冬、毎日のように心を動かされる自然のものがあります。名前の分からない草です。近所の散歩道を登りきったあたりに2軒分ぐらいの空き地があります。そこに一面に生えています。そのふわふわした群れに、「おぉ!」と声を出しそうになるのです。朝日の逆光に映えていたり、薄暗さの中にモノクロフィルムのような懐かしさを醸し出したりしています。

朝の空気感が伝わりますか?

この変化の早い時代に、心が動くというとアクティブなものが想像されます。昨日とは違う新しいニュースに目を留め、話題にしがちです。新しいもの、珍しいもの、過激なもの、悲しいものが目に留まりやすいですよね。

しかし、変化するものばかりが心を動かすわけではないことを感じます。この草のように、そこにあることがわかっていても、毎朝「おぉ」と思うのはなぜでしょうね。思い起こすのは、まだ20代の頃、生まれ故郷の川を久しぶりに見て、「僕が世間に揉まれている間も、この川はずっと同じように滔々と流れているのか」という感慨を持ったことがあります。

考えてみると、自然も少しずつ変化はしているのでしょう。人間のような目まぐるしさでなくても、大きく、しかし確実に変わっていく自然がそこにあるのだと思います。その雄大さと、変わったら元に戻りそうにない儚さを同時に感じているのかもしれません。


ネガティブ・ケイパビリティで、自然と生きる

この度の能登半島地震で被災された皆さまには、心よりお見舞い申し上げます。新聞やニュースで被災地の状況を見る度に胸が苦しくなります。

私たちはいつも自然の恵みを享受しながらも、その脅威にもさらされています。豊かな自然に恵まれている日本、反面、地震をはじめとする様々な自然災害も多いですよね。東京で生まれ育った私は、小さい頃から「首都直下地震は明日起きてもおかしくない」と言われ続け・・今でも一番怖い災害は地震です。小さな揺れにもいつもどきどきしています。

ところで、「ネガティブ・ケイパビリティ」という言葉があります。コロナ禍でも注目されていた言葉です。答えが出ない、すぐにはどうすることもできない、そんな宙ぶらりんの状況をそのまま受け入れて耐え忍ぶ力、と解釈しています。Google検索やらなんやらの影響でしょうか、最近はすぐ白黒つけたり、答えを性急に求めるような風潮があるような感じがしますが、実際私たちが生きるこの世界で、そんなにはっきり答えが出ることって少ない気がするのです。

災害もいつどのように起きるかが予測できませんね。そのほかにも事故・病気だってあるかもしれない、私たちの人生には不確実なことがたくさんあります。

悲しいことが起きることに極度に怯えたり、何も起きないように不自然なコントロールをしようとするよりも、それがいつか起きることを受け入れる強さ、どうにもならない状況を受け入れる忍耐も持ちたいなと思います。それが「自然と共に生きる」ことなのかもしれません・・。

被災地の一日も早い復興を心からお祈りいたします。

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