スタッフブログ
私の「『自然が好き』で世界を変える」(マーケティング部 豊国)
2021年、日本シェアリングネイチャー協会のビジョンが、「『自然が好き』で世界を変える」に変わりました。なんとも懐の深い言葉です。人によって捉え方が様々であろうこの言葉。私にとってはどんな言葉なのだろうか、改めて考えてみました。
そもそも私は「自然は守らなくてはいけない」という知識から入っていった派です。東京の下町育ちですが、周りはビルばっかりで、親もインドア派だったため、自然に触れる機会は少なかったのです。そんな私が「自然を守らなくては!」と思い始めたきっかけは、小学生の時に読んだ『シートン動物記』。この「本から自然好きになった」というエピソードは、人に話すと「へ〜珍しいね」とよく言われます。いわゆる'原体験'が少ない人間なのです。
そんな頭でっかちな状態で「自然が好き」を掲げていた私が、心から「自然って素晴らしい!」と思えたのは、やっぱりネイチャーゲームのおかげです。リーダー養成講座を受けた時に感じた「自然との一体感」は今でも忘れがたい経験です。私の世界を変えた、ネイチャーゲーム。そこから生まれた「自然が好き」パワーはまた、また新たな誰かの世界を変えていくのではないでしょうか。そんな思いで、私もネイチャーゲームを人に指導しています。
「自然が好き」なだけでは、この世界は変えられないかもしれない。でも尊敬する偉人、マハトマ・ガンジーの言葉に「世界に変化を望むのなら、あなた自身がその変化になりなさい」というものがあります。私に勇気をくれる、大好きな言葉で、生きる指針にしています。自然と共生する世界であってほしい、だからまずは私自身が自然と共生することを目指す。これが私の「世界を変える」です。
みなさんの「世界を変える」も聞いてみたいです!もしよかったらコメントください!
香り高き水仙の花
みなさんの地域では、もう水仙は咲きましたか?
僕が住んでいる長崎では、きれいな花がたくさん見られます。
咲き始めの花はイキイキとしていて、エネルギーを感じます。
意識すると、あっちにもこっちにも咲いていることに気がつきます。
そんな季節なのでしょうね。
しかし面白いことに、咲き始めたことに全然気が付かなかったのですよ。
毎日通る散歩道にきれいに咲き揃うまで、その存在を気にも留めませんでした。
だいたいがキョロキョロ自然を楽しみながら歩いているつもりなのにですね。
不思議なことです。
それが、咲いていることに気がついたのは「香り」からです。
朝から霧雨模様の空の中、湿気を含んだ森の香りが、道を曲がった瞬間に、いきなり高貴な香りに変わりました。
「あっ」と心のなかで叫びました。そして目の前には、咲き揃った白と黄色の花、葉っぱと茎の緑が目に入りました。
毎年ここで咲いてくれる水仙です。
そう、ぜひ嗅覚から季節の花を見つけてみませんか?
視覚に意識の多くを費やしている現代だからこそ、それ以外の感覚を大事にしたいものです。
嗅覚で季節を発見すると、喜びも増しますよ。
変わらないものに心を動かされることはありませんか
この冬、毎日のように心を動かされる自然のものがあります。名前の分からない草です。近所の散歩道を登りきったあたりに2軒分ぐらいの空き地があります。そこに一面に生えています。そのふわふわした群れに、「おぉ!」と声を出しそうになるのです。朝日の逆光に映えていたり、薄暗さの中にモノクロフィルムのような懐かしさを醸し出したりしています。
この変化の早い時代に、心が動くというとアクティブなものが想像されます。昨日とは違う新しいニュースに目を留め、話題にしがちです。新しいもの、珍しいもの、過激なもの、悲しいものが目に留まりやすいですよね。
しかし、変化するものばかりが心を動かすわけではないことを感じます。この草のように、そこにあることがわかっていても、毎朝「おぉ」と思うのはなぜでしょうね。思い起こすのは、まだ20代の頃、生まれ故郷の川を久しぶりに見て、「僕が世間に揉まれている間も、この川はずっと同じように滔々と流れているのか」という感慨を持ったことがあります。
考えてみると、自然も少しずつ変化はしているのでしょう。人間のような目まぐるしさでなくても、大きく、しかし確実に変わっていく自然がそこにあるのだと思います。その雄大さと、変わったら元に戻りそうにない儚さを同時に感じているのかもしれません。
ネガティブ・ケイパビリティで、自然と生きる
この度の能登半島地震で被災された皆さまには、心よりお見舞い申し上げます。新聞やニュースで被災地の状況を見る度に胸が苦しくなります。
私たちはいつも自然の恵みを享受しながらも、その脅威にもさらされています。豊かな自然に恵まれている日本、反面、地震をはじめとする様々な自然災害も多いですよね。東京で生まれ育った私は、小さい頃から「首都直下地震は明日起きてもおかしくない」と言われ続け・・今でも一番怖い災害は地震です。小さな揺れにもいつもどきどきしています。
ところで、「ネガティブ・ケイパビリティ」という言葉があります。コロナ禍でも注目されていた言葉です。答えが出ない、すぐにはどうすることもできない、そんな宙ぶらりんの状況をそのまま受け入れて耐え忍ぶ力、と解釈しています。Google検索やらなんやらの影響でしょうか、最近はすぐ白黒つけたり、答えを性急に求めるような風潮があるような感じがしますが、実際私たちが生きるこの世界で、そんなにはっきり答えが出ることって少ない気がするのです。
災害もいつどのように起きるかが予測できませんね。そのほかにも事故・病気だってあるかもしれない、私たちの人生には不確実なことがたくさんあります。
悲しいことが起きることに極度に怯えたり、何も起きないように不自然なコントロールをしようとするよりも、それがいつか起きることを受け入れる強さ、どうにもならない状況を受け入れる忍耐も持ちたいなと思います。それが「自然と共に生きる」ことなのかもしれません・・。
被災地の一日も早い復興を心からお祈りいたします。
感性が高まっているぞ
いくつになっても、感性や感受性を高めることはできます。感性を磨くのは子ども、それも幼児の時ばかりだと、せっせと音楽にふれさせたり、自然の中で遊ばせたりしますね。しかし、オトナでも、感性は磨けば、どんどん高まってゆくのです。
えー!、そんなの特別な才能のある人の話なんじゃないの?と思いがちです。「天才」と呼ばれるようなゲイジュツ家や、ファンションリーダーのようなセンスに、恐れ入りましたと脱帽することは少なくありませんね。きっと「血」の問題か、幼少期にすごく磨かれる経験をしたと思ってしまいます。
実は、ネイチャーゲームをやっていると、どんどん感性が磨かれていくが実感としてあります。冬枯れのススキの野原を見て、「美しい」と足を止めることは、若かりし頃にあったでしょうか。空を舞う鳥に心を寄せるようになったのも最近かもしれません。
例えば今朝は、「秋名残寒風枯」(あきのなごりも かんぷうに かれる)って詞を書きました。いいでしょ?
これが感性が高いかどうかは置いておいて、今朝の散歩中に見かけた「季節の便り」を言葉にしたものです。日本古来から、季節を表す「七十二候」を自分なりに作ったものです。ここには「感じること」と「言葉にすること」の2つの磨きたい能力が潜んでいます。あなたはどちらを磨きたいですか?
会議のさなかで、シェアリングネイチャーのスゴさを体感したハナシ
素直な自分に帰って、日常をポジティブに生きることができるようになる力がシェアリングネイチャー活動にはあります。
自分の中にある穏やかな心を引き出し、余計なものに因われずに自分自身で居られます。
それは、会議や、チームで取り組む経済活動でも、有効に働きそうです。
今日コーチングを受けたのですが、途中で、コーチに促されて外に出ました。
ちょっとした玄関先でしたが、そこでしばらく話した後に、室内に戻りました。
戻ったときに、その自然の力が実感としてやってきました。
外に居たときには、遠くの木々を眺めながら、ありたい理想の姿をありありと思い描くことができました。
ところがです、室内に戻った途端に、頭の中が何かで覆われたように、働かなくなってしまったのです。
そう、外では、心と思考が開放されていたのです。
これを他に広げるとしたら、例えば会議の前に、自然に触れる活動を挟むというやり方があります。
心が整い、会議の主題や本質的な議論に集中できると思います。
クリエイティブなアイディアが浮かび、上手に収束して形にできると思います。
自然の力の偉大さを感じるのと同時に、日頃のシェアリングネイチャー活動が効いていることが実感されました。
しかも、自然に触れることは、世界中どこでも、割と簡単にできることなのです。
自然の力を借りて、ネイチャーゲームを使って、ありたい世界を創ってゆきましょう!
ネイチャーゲームで人生は変わった?
僕は、ネイチャーゲームで人生が変わったと思っている派です。
散歩の時のキョロキョロ度合いが増し、何でもない夕暮れの景色を見ては「美しい」などとつぶやたりします。
娘が小学生の時に、進んでおやじの会に入ったのもネイチャーゲームがあるという自信からでした。
あらゆる場面で世界が変わり、感覚とコミュニケーションがポジティブなものになりました。
ところが先日、ある会員に「ネイチャーゲームで人生変わった?」って聞いたら、「う~ん」などと考えています。あれ??
その人は、シェアリングネイチャーの会員になって数ヶ月の方です。
今日研修に来たということは、きっとその魅力に魅了されているのは間違いなし!と思って聞いてみたのです。
しかし、その人のFacebookを見ると、明らかに心が変容しているのです。
「穏やかになった自分を実感」「この何とも表現しにくい感覚」「もっと早く出逢えば良かった」などと綴られています。
やっぱり、何かが明らかに変わっているのです。それもいい方向に。
やはり、そんな場面を見ても、シェアリングネイチャー活動には、人を変容させる力があることを実感します。
劇的なショックを受けて自分が変わってしまうというものでもないようです。
じわじわと、内側から変わっていく感覚です。
その感覚は、夕日を見た時、大地に寝そべった時、季節の風を感じたときにまと呼び起こされるのです。
重症心身障害児との自然体験
みなさんこんにちは!
10月もそろそろ終わりですが、まだまだ暖かい日が続きますね。
さて先日、新宿養護学校内・ひまわりHAUSにて、重い障害をもつ子どもたちへ、旬の自然を届ける活動に参加してきました。
日常的な医療ケアを必要としたり、基礎疾患を持っている子どもたちは、外に出て思いっきり遊んだり、自然に触れることがなかなかできません。
そこで施設内に、たくさんの旬の自然(どんぐりや落ち葉などなど)を持ち込んで、子どもたちに触ってもらったり、匂いを嗅いでもらったりして、自然を感じてもらおう!というのがこの活動です。
今年で年目となるこの取り組みですが、私も去年よりボランティアとして参加しています。
▼過去の活動の詳しい内容はこちら▼
https://www.naturegame.or.jp/field-note/welfare/004400.html
自分では体を動かせない寝たきりの子や、聴覚や視覚などに障害をもつ子どもたちとの自然体験。
普段から彼らと接しているわけではない私には、顔の表情や反応も捉えづらく、去年は内心苦戦しました。「大丈夫かな・・喜んでもらえているのかな・・?」と不安に思い、つい変に盛り上げようとしてしまったり。。
しかし今年は、「もっと自然の力を信じよう、ありのままに寄り添おう」と意識を変えて参加してきました。
保護者の方のお話を聞くと、「子どもたちは表情には出ないけど、内心すごく喜んでます」とのこと。どんぐりの手触りを確かめたり、葉っぱの匂いを嗅いだり、、それだけ?と思われるかもしれません。でも、それだけのことでも、子どもたちには大きな体験なのでないでしょうか。
活動が進んでいくにつれ、子どもたちの表情もどんどん良くなっていったような気がします。
最後は、メンバーが用意したお土産もたっぷり渡して、活動終了しました。
来年もまたみんなの笑顔に会えますように!
Environmental Justice と 3Sの時代到来?!
こんにちは、事務局次長の、よいしょです。
シェアリングネイチャー協会事務局の小難しい話、担当です(笑)。
なので、お時間のあるときにどうぞ。
20年ほど前、ネイチャーゲームに出会う前まで、「頭でっかち」に環境問題を勉強していました。あの頃は瀬戸内海の豊島(てしま)や白神山地の不法投棄、産業廃棄物問題、それにメディアの責任が大きかった風評被害を巻き起こしたダイオキシン問題もありました。「ゴミはちゃんと処理しないとまずい」という話が、そこここで騒がれていた頃。週刊少年ジャンプで連載されていた『ジャングルの王者ターちゃん』でも、ダイオキシンが取り扱われるほどです。
ゴミとの付き合い方が、みんな、わかってきたはずの時代・・・なのに、街中のタバコの吸殻は消えないことに、不安と嫌悪感を持っていました。地域生態や自然共生、環境資源といった、人と自然の未来について学ぶ、先進的な学び舎だった出身校のキャンパス内でさえも、まあよくゴミが落ちている。嫌だったんですよね〜、そういう世の中。
そうした社会の悪い面にばかり目を向けてしまって、「なんとかならなんもんかな」とプリプリしてたときに、出会ったのがネイチャーゲームでした。それはもう、最高に楽しくて、いい意味でショッキングな体験でしたね。そして私自身はもちろん、授業を受けた他の学生にも、変革が起きたのを実感できたんです。ゴールデンウィークが明けると、なんと、学生が林の中にシートも敷かずに直接座って、車座になってお弁当食べてるんです。当然ゴミも残さないどころか、なんならゴミ、拾ってる...キャンパスの中庭の雰囲気が変わったんです。
この講座での体験から、「自然大好き人間を増やす」という私の人生におけるミッションが顔を出し始めたんです。その先にあるのは、誰もポイ捨てしない社会=自然とともに生きる世界、いのちを大切にする世界。回り回って、いま日本シェアリングネイチャー協会が掲げる〝「自然が好き」で世界を変える〟と見事な合致。というか、どちらも「ネイチャーゲーム」を元にしているわけですから、当然といえば当然ですね。
さて、最近の話を。
人が生きていく上で引き起こされる環境問題による「負担」を公正に分配すべきだという考え方「Environmental justice(エンヴァイロメンタル ジャスティス」という言葉が登場しました。この言葉を聞いて思い浮かべたのは、「もののけ姫」が上映された頃の、宮崎駿監督のインタビュー。
今を生きる若者たちは、
世界が有限であるとわかった今を
生きていかないといけない
細かなニュアンスは覚えていませんが、これを聞いた高校生の私には強く印象に残りました。そうか、時代が違ったんだ、って。
私たちは「やむを得ない無知」故に、この地球が、世界が有限であることに思いを馳せずに、社会を構築してきてしまったんですよね。その中で人間はもちろん、たくさん生きものたちに、取り返しのつかない「公正でない負担」を敷いてきました。その過程の中で「自然保護教育」や「公害教育」が生まれ、よりよい世界を目指す上で、学ぶべきこと、ふるまうべき姿勢が示されてきました。これらを源流とする「環境教育」を通して、いま、私たちは過去から多くのことを学んでいます。
「公正な分配」という言葉をつかったとき、新たな負担を過去の人を含めることはできませんから、あらためて私たちが生きる「今」と「未来」の話をしていると気づかされるわけです。でも、一方で解決不可能な負担感を感じて、「なにをしとくれとんのじゃ〜」とつい、ツッコミをいれたくなる。理不尽だな、と負担感を感じるのは「今」を生きる一人ひとりには当然のことです。
しかし「無限と勘違い」していた人たちのせいにして、自分たちの今を正当化していても、良い方向には進みません。「Environmental justice」に未来志向型で向き合うことで、可能性を広げなくちゃいけません。一方でそれはわかっていでも、「誰かのせい」にすると、安心してしまうのが人間ですから、その困った性(さが)と戦えるよう「環境教育」が必要なんですよね。その根底が「体験」の保証。実感なき学びより、実感を伴う学びの方がいいですから、ネイチャーゲームはもちろん、自然体験活動への期待は大きいです。そしてそこから社会課題の解決につながるSTEAM教育も。
これから3Sの時代が来るんじゃないですかね。
「SDGsの実現」
SDGsに到達するために効果的な「STEAM教育」
STEAM教育を下支えする「Sharing Nature」
ということで「Environmental Justice」というキーワードから
思ったことをつらつら書いてみました。
続く、のか?
お知らせ!
STEAM教育について、静岡大学の郡司先生に教えていただきました!
「シェアリングネイチャーライフ40号」をチェック!
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