子どもの行動からは片時も目が離せない私たちですが、彼らの目線を通して見る自然は、そのもの以上に壮大で色鮮やかで、ママ自身が深く自然に触れ合う極上の時間になっていきます。
いっしょに出かけてみましょ♪
子どもは
晴れでも雨でも
外へでたがりますよね。
生きものとして
自然を直接感じ学んでいくための
本能的欲求なのではないかと
感じたりするのですが...
かくゆう私自身も、
子どもの頃、
雨の中をびしょ濡れになって
遊んでいた記憶があります。
その中では、
雨で濡れた洋服が
体に張り付く感じや
雨が髪の毛からしたたってきたり
地肌を流れてくる感じ、
グッチャグッチャ
たっぷたっぷと水を含んだ靴、
ゴーっという川の音が
周りの全ての音を
飲み込んでいるように
しんとした大気の様子、
草やアスファルトや
土が濡れた匂い、
雨が大好きな生きものや
植物たちの姿...
全感覚で感じていたさまざまな
「雨の日」が鮮明に残っていて、
今思えば
まるで直感的に「雨」の性質や
「自然」を理解していく作業
だったように
感じられるのです。
晴れていれば、
気にもとめないであろう
ただの道端のくぼみが、
ちがうものへと姿を変える。
まるで雨の日の魔法です。
親になり、娘にも
そんな楽しい雨の記憶を
持ってほしくて、
0歳の頃は抱っこひもで、
歩き始めたら
カッパを着せて
外へ出かけるようになりました。
(↑ツヤツヤ光る濡れた葉っぱに興味津々。当時1歳)
(↑雨がジュワジュワ?と染み出てくる芝生。すぐさま寝転んで確認。当時4歳)
最初は単純にめずらしさから、
きょろきょろ見回し、
あちこち触ったりしていた娘でしたが、
成長と共に、
道にできた川をせき止めてみたり、
水たまりに映った景色を
不思議そうにのぞきこんだ後
今度は上を見上げたり、
大きな葉っぱに溜まった
雨水を揺らしたり、
突然濡れた草はらに寝転んだり
(ネイチャーゲーム〈大地の窓〉をやると、
地面に寝転んで空を見上げるのは
もはや習慣化します^^;)...
積極的に雨と戯れるようになりました。
そして、雨の日には自ら、
と私を誘ってくれるように
なっていきました。
子どもと雨の日
積極的に外へ出はじめた私が、
意外で嬉しかったことは、
実際に我が子を伴い歩く雨の道が
自分の想像以上に楽しくて、
子どもの顔を
キラキラに輝かせてくれる
特別な時間だと
気づかされたことです。
私はずっと
それを伝える立場だったし、
知っていたはずなのに、
想像をはるかに超えていた!
娘と自然との関わりを通して、
雨は自然じゃない場所も
自然に変えてくれるんだと
気づきました。
そして、雨がつくり出す魔法は、
晴れの日がきて
辺りが乾いて
元どおりになったとしても、
娘の心にいちいち
ちゃんと鮮明に残っていて、
いつもの道で、公園で、森で、
話題に出てきては
自然の姿をいきいきと感じさせてくれるし、
娘はますます
愛着を持った目線を
自然に送るのです。
何気ないいつもの道を
進んでいくと、
道沿いには
さまざまな自然があります。
雑草1つにしても
雨に濡れると違う様子になっていて、
雨粒のつき方も
ちがいます。
まずは雨粒をツン!
と触ってみせると、
すぐに嬉しそうに真似をして
ツンツンしはじめます。
葉っぱを引っ張ってピン!
と放して雨粒を落としてみたり、
紫陽花を「ぽわんぽわん」と
言いながらやさしく手のひらで
触ってみたりしながら進みます。
コンクリートの坂道は
すぐにそこここに
小さな川ができるので、
ちいさな両手を浸して
流れていく雨水をただ見ている
時間もあります。
このときもものすごーく楽しそうなので、
私もただ見守ります。
しばらく歩いていると
神社に差し掛かりました。
入り口は緩やかな坂になっています。
ここにも小さな川。
娘は小石を拾って
川の水に浸して遊び始めたと思うと
急に立ち上がり、
ぱっと顔を輝かせて、
坂の上手に駆け上がり、
たったったと下手に向かって
走り下りてきました。
何度も繰り返します。
「なにしてるの?」
と尋ねてみると、
と。
そうです。
娘は雨水の一員になって
小さな川を流れて遊んでいるのです!
あの時の娘の楽しそうな顔は
今でも忘れられません。
娘は小さな川に手を浸した感覚や、
小石が流れる様子を見て、
自分が流れてみようと
思いついたのではないでしょうか。
すごく名案ですよね(笑)
(↑川になって何度も走りおりてきます。当時2歳)
そう。子どもと雨の外あそびを
楽しむために、
特別なスキルは何もいりません。
ただ、雨だからこその
自然の変化に気づくには
五感を普段から開いておく必要が
あるのも事実。
つまり、「見る・聞く・嗅ぐ・さわる」
といった感覚がオープンになっていれば、
とても小さな変化に
気づけるというわけです。
これはネイチャーゲームをすれば
簡単に身につけたり
磨いたりすることができます。
自分の中に根付いた、
このシェアリングネイチャーの感覚を、
東京に来て、
さらには娘との
何気ない日常を通して、
私はますます実感するようになりました。
(↓大きなユリノキの下で雨宿り。
おうちに見立てて熱心にストーリーを解説中。)
雨の日に限らずですが、
出かけた先々で
ネイチャーゲームの〈音いくつ〉を
やりします。
ルーペは常備しているので
〈ミクロハイク〉をしたり、
娘が気になった
道端の草花をのぞいてみたりもします。
〈フィールドビンゴ〉をやっていると、
においにも敏感になり、
いろんな自然のにおいに
関心を持つようになります。
自然に対して五感を研ぎ澄ませる感覚を
そばにいる大人が持っていることで、
子どもたちのただの道草は、
素晴らしい自然体験の場に変わります。
雨の日となると服が、
服が汚れてしまうとか
触ると汚いんじゃないかとか、
とっさに考えて
敬遠してしまうかもしれませんが...
雨に限らず、
汚すことなく
思い切り自然と触れ合って
遊ぶことはできません。
我が子がちゃんと
「どろんこ」になっているか
確認するくらいの意気で(笑)、
ぜひ雨の日の自然を
一緒に楽しんでみてください。
(上下カッパにフード
または撥水性の帽子を
着用させれば
本人もママもごきげんです♪)
そして、子どもたちが見つけた自然や、
感じたことはできるだけ
その場で共有して味わってください。
子どもの行動からは
片時も目が離せない私たちですが、
彼らの目線を通して見る自然は、
そのもの以上に壮大で色鮮やかで、
ママ自身が
深く自然に触れ合う
極上の時間に
なっていきます。
公益社団法人日本シェアリングネイチャー協会 スタッフ
10年前東京へやってきた時には、里山暮らしとのあまりに大きな自然ギャップに途方に暮れるも、シェアリングネイチャーの視点で徐々に東京ネイチャーの面白さを発見!!現在、2児のシェアリングネイチャー子育て中。6歳になった娘は、昨年生まれた弟に得意げに自然案内をしています(笑)