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ライフスタイル
耳をすまして...音でみる 多彩な風景(SNL2014年9月発行)
自然のパワーを充電したいと海や山へ出かける計画を立てること、誰にもあると思います。
けれども、自然はどこにでもあり常に私たちの周りで動いている…というのは、三宮麻由子さん。
目を閉じて耳をすませば、風が奏でる音や、鳥や虫の声がここにいるよ…と伝えてきます。
耳をすませば自然はそこに

音の自然案内人
【エッセイスト】
三宮麻由子(さんのみや・まゆこ)さん

4歳のときに病気により失明。外資系の通信社で報道翻訳を行う一方、自らの自然体験や日常で感じたことをエッセイや絵本で伝える。日本野鳥の会会員。
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「シーンレス」それは、エッセイスト・三宮麻由子さんがつくった「全盲」の人の特徴を表した造語です。4歳で病気のために、視力を失った三宮さんにとって、〝風景〟は見ることはできないもの、まさに「シーンレスの世界」のはずでした。ところがある朝、鳥たちが鳴きだすのを山でじっと待っていた三宮さんに、野鳥が自然の景色を見せてくれたのです。


それは、長く垂れた尾羽が特徴のサンコウチョウ。朝のさまざまな鳥のさえずりのなか「ギッ、フィー、ホイホイホイ」と交わされる特徴的な鳴き声に包まれて、三宮さんは



時計という媒体を通して強引に法則化した時の流れではなく…(中略)…母なる大地が自転を繰り返すと、その動きが地上に乗っているすべての物質や生物に伝わり、光と命が鼓動する。そのプロセス自体が自然のサイクルとなって時をつくる

(集英社文庫『鳥が教えてくれた空』より)

ことを、三次元で動く自然を音で感じながら実感したといいます。


多くの命が躍動する夜明けの時間。時の移ろいを目で見られる私たちは、その流れをしっかりと聴き味わっているだろうか。身体的能力は備わっているのに、我ながらもったいない…と思います。

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視力を失ってまもなくはじめたピアノのレッスンで得た絶対音感と音を楽しむ習慣で、「音が大好き」という三宮さん。以前からスズメの声を聞いて刻々と変わる夜明けの時間を知り、さえずる鳥の種類や鳴き声の変化で季節を感じたりしていたといいます。でも…「前は何の鳥がどこにいるか、どの樹種の森に何の鳥がどのぐらいいるか。ピンポイントの要素で、オーケストラのなかからピアノの和音を聞き取るように、鳥の声ばかりを聞き分けていたんです」


それが三次元の世界、〝風景〟へと明らかに変化したのは、自然観察指導員の講座に参加をしてから。そのときのことを著書『鳥が教えてくれた空』のなかで、三宮さんはこう記しています。



木の下の腐葉土に何がいるのかを確かめた。湿った落葉が何層にも重なったなかに、ガの羽やヤスデ、クモ、鳥の羽などさまざまな生きものや、その落とし物が隠れている。クスノキの葉だけを食べるアオスジアゲハの糞が、樟脳の香りを放つことにも驚いた。そこはまさに命の生産現場だった。…(中略)…このときから、植物が育む生態系に深く心を打たれるようになった。それまで知識としてしか頭に入っていなかった自然が、突然目の前で姿となって再現されたのだろう。この実体験が、個の観察方法しか知らなかった私の植物観を、森へ、野原へ、地球へと誘ってくれた

その体験は鳥の声の聴こえ方にも変化を与えたのです。



ジューイチという鳥が鳴いているのを聴いても、生態の知識がなければ、季節が夏で山がどのくらい深いということは、わかりませんよね。遠くの山で別の鳥の声が聴こえるから深い森のある山がそびえているとか、前面には谷が広がりひらけた林があるとか

知識を得てはじめて、音が風景となって見えてきたのだそうです。景色どおりに棲み分け、歌い分ける鳥たちの声が立体的に聞こえ始め、鳥の声が耳で聞く景色になったのだと。ただし、これができるためには三宮さんが持つもう一つの技術、〝音源定位〟が必要です。三宮さんは、周りの音で自分のいる場所の高さや頭上の木の種類、壁との距離などが分かるのです。



これは盲学校で徹底的に訓練された技術です。でも、この訓練を受けたシーンレスの人がすべて、音で風景を感じているかというと、そうではないんです

それは、視力がよくても自然を〝見る目〟があるかどうかは別問題…なのと同じです。

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自然に無駄なものなどない。すべてのものが〝宝物〟。

〝評論〟をすると風景は聴こえてこない

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音で自然を感じるために必要なのは、余計なフィルターをかけずに、ただ聴くこと。それは自我を捨てて自然に完全に心を預けることです。自分の物差しを残してしまうと、音は感性に届きません。ただし聴こえた音を分析することも大切です。でも分析は、知識を寄せ集めて〝評論〟することとは違います

と、三宮さん。


評論は知識さえあれば、ある意味誰にでもできます。けれど大切なのは「どこまで感じられるか」ということ。つまり〝感性のアンテナ〟を伸ばし、ありのままの自然を感じられるかどうかです。



精巧なアンテナを持っていて、多くの音を聴き分けることができても、分析する力がなければ、風景は見えません。逆に分析ができても素直に聴くことができなければ、誤変換をしてしまうんです

といいます。


そして、この〝しっかり受信できるアンテナ〟さえあれば、大自然のなかにわざわざ出かけていかなくても、いつでも自然を感じることができるのだと。


小鳥もいない、虫の音も聞こえない、高層マンションの上層階…。そこでも三宮さんの耳には、豊かな自然の音が聞こえているのです。



地上近くで聴く雨音は、雨が何かに当たった音ですね。でも高層階のベランダで聴く雨音は、純粋な雨の音。サーッという空を切って雨が落ちる音なんです。そして風は、低層階ではフーッフーッという地上に吹く音がして、高層階になるとゴーッという気流の音になる。1階上がっただけで、風の音が変わったりします。それは、私にはまさに〝空と大地が呼吸をしている音〟に聴こえるんです


自然はどこにでもある。ただ、鳥の声が聴きたいときに鳥がいなかったり、街に波音が聞こえなかったり、欲しいときに欲しい自然がないだけのこと。そう三宮さんは思うそうです。



山や海へ、自然を楽しみに出かけるのもいいと思います。ただ、自然を逃げ場にしてはいけないと思うんです。森林浴でリフレッシュしても、日常に戻ればすぐに元に戻ってしまいます。けれど、自分のいる場所の自然から充電する方法を知ることができれば、そのアンテナを持てれば、いつでもどこでも自然のパワーを充電できる。それが本当のシェアリングネイチャーではないでしょうか
普遍的な可能性は万人に同じ

文明社会のなかでは、ややもすると自然からもらうことばかりを考えがちのような気がします。けれど〝シェア〟とは、持ち分をもらうことだけではありません。



人間も、常に自然にお返しをしているんです。それは公園や海岸の掃除をしたりするということではなく、他の生命と仲良くしたり、せめぎあったりして生きている、その活動自体が、生態系の一部として機能しているのだと思います


無駄にボーとしている自然なんてない…と、三宮さんは常に感じているとそうです。自然はいつでも三次元で、自分がいる場所に関わらず、上でも下でも何かが動き、息づいているのだと。


そう思って聴いていると、町のあちこちから聞こえる〝人工音〟も、人間という生きものが暮らす音に聞こえ「町はひとつの生命体だ!」と思うといいます。そして、〝すべてのものが生かされている〟と。


三宮さんが、講演でよく話すことに「一人一人が宝物」という話があります。



私のなかには、この〝宝もの感〟が常にあるんです。現代は、生産効率で評価される社会です。では、人間のように生産活動をしない犬やネコが価値のない生きものかといえば、そんなことはありません。


私は、視力を失うというハンディキャップを持ちました。でもそのお陰で、今このような話ができます。つまり、


この〝宝物感〟は、三宮さんが自然からもらった哲学。これを教えてくれたのが、鳥であり、自然なのだといいます。


三宮さんは、現在会社勤務の一方、エッセイや絵本を執筆し、各地での講演活動も精力的に行っています。その講演で、お話とともに機会があるごとに披露するのが、ピアノの演奏です。そして、よく弾く曲のひとつが、リストの『ラ・カンパネラ』。


「この曲には、自然が伝える〝宝物感〟と同じものを感じる」という三宮さん。彼女の奏でる『ラ・カンパネラ』をぜひ一度聴いてみたいと思います。

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情報誌「シェアリングネイチャーライフ」Vol.6 特集(デザイン・DTP:花平和子 文:伊東久枝 イラスト:井上みさお(P.3?5、8?9)、初澤久美(P.10、11)表紙イラスト:矢原由布子)をウェブ用に再構成しました。
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